新作 『Genderless 雌蛇&女豹の遺伝子』(8)わたしは勇敢な猪になる!
NLFS秋季大会が始まった。
この大会はNLFS自主興業である。
提携関係にある『G』主催の格闘技大会は夏と年末に行われるので、その合間である春と秋に開催される。NLFS大会は基本的には男子同士の試合は組まない。あくまで男子vs女子、そして男子と戦わせるには問題がある女子同士の試合になる。
勿論、人数的にNLFS勢だけで大会を開くのは無理があり、外部の男子、女子選手にもオファーを出して行なわれる。
リング上では既に戦闘態勢にある望月雅之がこれから入場する鳩中薫を待ち構えていた。その顔色は緊張なのか蒼白だ。
NLFSカラーである真紅のワンピース水着姿で鳩中薫が入場。こちらも自信なさげにオドオドしている。リング下観客席にいる母と弟アツシの姿が目に入った。初めての家族を招待しての試合。薫は緊張で心臓が高鳴る自分を落ち着かせようとしている。
「雅之、もうデビュー以来5連敗だ!お前に格闘技は向いていない。リングを降りたほうがいい。勝利経験なくとも恥じることはない。お前は弱い自分を変えたいと思ってリングに上がったんだろ? その勇気だけで充分強くなった。勝ち負けじゃない!お前は大切なことを格闘技を通して学んできたんだ。その経験はリングを降りても必ず生きる。お前は精一杯やってきた…」
「か、会長!ぼ、僕は一度位は勝ってリングを降りたい。あと一試合だけやらせて下さい。そ、それでだめなら諦めます。こ、このまま引退なら悔いが残るんです」
望月雅之は会長とのそんなやり取りを思い出していた。会長は渋い顔で「一度は勝ちたいと言われてもリングに上がる連中は皆プロだからな。はっきり言ってお前はプロのレベルになかったんだ…」と言った。
会長なりに、望月を勝たせてやりたいという親心であったにせよ、選んだ相手が女子でそれもデビュー以来4連敗の選手だと聞いた。しかも、同じ女子相手でも3連敗中なのだそうだ。そんな相手に負けてしまったなら? “冗談じゃない!”
望月雅之は幼い頃から小柄で気弱な性格であった。人と話す時も意識しすぎるのか?
所謂吃音症(どもり)であり、それを誂われイジメも受けていたのは鳩中薫と同じだ。
そんな息子を父は “男として情けない” と思ったのか? 格闘技を習わせると思いの外夢中になり、格闘技を通じて自分を変え自信を持ちたいと思う様になった。
163cmで50㎏にも満たなかった彼だったが
筋力をつけると55㎏近くになり、MMA55㎏以下級でデビューしたのが20歳の時。
しかし、、、練習では出来ることが本番の試合では出来ない。吃音と同じように意識すると身体が思う様にならないイップス。それに、真剣に挑んで来る相手への恐怖心とも戦っていた。リングに上がる以上相手を恐く思うのは致命的である。当然の成り行きとしてデビュー以来5連敗。
望月はこの試合の勝ち負けに関係なく終わったら引退する決意をしていた。格闘家?としての何かをこの試合で残したい。
“何かを残したい?と言っても、相手は勝ち経験のない女子じゃないか。そんな女子相手に勝っても何が残るっていうんだ? 万一負けてしまったなら、、それこそ、その先には屈辱と絶望しかない。自分に自信を付けたいとの動機で格闘技の世界に飛び込んだのに、その最後の試合で女子に負けてしまったらなら劣等感しか残らない”
望月は相手が女子であることを意識すると絶対負けられないプレッシャー、その緊張感で足が震えた。イップスの表情だ。
リングインした鳩中薫と望月雅之の視線が合った。女子と戦う男としてのプレッシャーに押し潰されそうな望月がペコリと頭を下げると目を逸らした。戦う前から視線を逸らす自分が情けないと望月は思う。
ペコリと頭を下げた望月を受けて薫は深々と丁寧なお辞儀を返した。薫はこれから戦うこの望月の目をまるで怯えた子羊のようだと思った。でも、とても優しそうな人だとも感じた。いつも人の顔色ばかり窺っている薫はその人の雰囲気でその性格を感じ取ることに敏感なのだ。
望月はこれから戦う鳩中薫が丁寧なお辞儀を返してきたことに驚いていた。男子に戦いを挑む女子は気が強いのだと思っていたからだ。挑発的に睨み返されるかもと思い目を逸らしたのだが、目の前の女子は大人しそうで、その表情には緊張の色がはっきりと見て取れた。
“僕はこんな女子と本気で戦うのか? だって普通の女の子じゃないか、、、本当に殴っても大丈夫なのだろうか?”
試合前の計量。
望月雅之(22才) 163cm 54.5㎏
鳩中薫(20才)161cm 54.5㎏
男と女。両者緊張の中ゴングは鳴った。
ゴングが鳴ると両者低い体勢から相手の出方を探る。そこから腕を出すと手四つの力比べになった。
“ぐいぐいぐい〜 ” 優勢なのは薫の方だ。望月は2〜3歩後退するとコーナーに押し込まれた。明らかに力負けしている。
「かおる~ 頑張って! 気を強く持って…」
リング下では榊枝美樹、シルヴィア滝田、嶋原(奥村)美沙子ら、NLFS勢総出で薫に声援を送っている。皆、薫がこの日まで必死に頑張ってきたことを知っている。いじめられっ子だった彼女がNLFSでは皆に愛されていた。それは薫の素直で心優しい性格を知っているからだ。まだ勝ちには恵まれていないが、彼女の初勝利はNLFS勢全員の悲願と言ってもいいほどだ。
つ、強い! この女の子の力は強い。
コーナーに押し込まれた望月は男である自分が女子に押し込まれたことに焦りを感じていた。薫はグッと頭を下げ両腕で望月の腰を抱きつくようにクラッチした。守勢になった望月を、リング下の会長、客席の両親が険しい顔で見ている。このままではいけない、テイクダウンを奪われてしまうと思った望月は、上から薫の首を抱えるとフロントチョークの体勢に持っていこうとするが上手くいかない。逆に持ち上げられそのまま体を預けられるようにテイクダウンを奪われる。そのまま縦四方固め、上四方固め、横四方固めと攻め立てられた。
薫の欠点はそのあとにある。
彼女は腰が強く内なる筋力もあり、スタンドでもグラウンドでも力比べになれば強いのだが、打撃が苦手で、組んで相手の身体を支配しても不器用で関節技や絞め技が上手くいかない。MMAのようなシュートマッチになれば、最後は打撃、絞め技、サブミッションで極まることが殆どなのだが薫にはそんな器用さが決め手がない。
ズゴッ!!
下になっていた望月のパンチが薫の鼻筋にヒットした。怯んだ薫が力を緩めた隙に望月は抜け出すと立ち上がった。
両者スタンドになると、今度は望月の攻勢になった。打撃にウィークポイントがあると思った彼は決して薫に組み付こうとせずボクシングスタイルからジャブ、パンチ、ローキックを繰り出す。それでも、薫はこの日に備えてシルヴィア滝田と徹底的に打撃対策をしてきた効果か? 今までより格段に防御が進歩している。しかし、打撃を防ぐだけで精一杯。そのまま第1R終了のゴングは鳴った。前半は薫が優勢、後半は望月で五分五分の展開であった。
第1ラウンドを終えインターバルの間。
望月雅之のセコンドに就いたジムの会長は後悔していた。望月の “自分に自信を持ちたい!一度でもいいから勝ってからリングを降りたい(引退)” という彼の願いを叶えてやりたいと思った。日頃の彼の真摯な練習態度に感心していたからだ。それでも、勝てるような相手は中々いない。そんな時にオファーがあったのがNLFS所属の女子選手であった。その鳩中薫という選手もデビュー以来4連敗で、内、3戦は同じ女子相手に敗れている。望月の男としてのプライドを思えば女子と戦わせるのはどうかと思ったが他にいない。どうにか納得させこの日を迎えた。NLFSの噂は知っていたが、鳩中薫という女子選手の戦績を調べると望月とてよもや負けるような相手ではない。
謂わば鳩中薫は望月の「噛ませ犬」として受けた相手であった。しかし、思いの外、鳩中薫は良い選手だと感じた。それにかなりトレーニングも積んできたようだ。向こうにしてみれば、望月は鳩中薫の「噛ませ犬」として選ばれたのかもしれない。
こんな試合、させるべきではなかった!
“この試合、どちらも噛ませ犬ではない。どちらが勝ってもおかしくない。もし、弱い自分を変え、自分に自信を持ちたいとの動機で始めた格闘技。その最後の試合で女子選手に負けてしまったら? 望月はどんなに絶望するだろうか? 会長として、私は彼のその後の人生にどうやって責任を持てばいいのだ? 頼む雅之、、勝ってくれ…”
一方、鳩中薫のセコンドに就いているのは嶋原(旧奥村)美沙子である。薫はデビュー以来の4連敗を振り返っていた。その反省をこの試合に生かしたいと思う。
デビュー戦の相手は男子選手であり一発のアッパーで倒されたのは仕方ない?相手は男子であり恐怖に似たものもあった。
悔しいのは、その後の3戦は同じ女子相手に負けてしまったことだ。薫は持って生まれた足腰の強さがありパワーもある。そのフィジカル面の強さはNLFSに入校するまで自分でも気付いていなかった。「薫は女子相撲やってれば成功したと思うよ」そんなことを誰かが言っていた。
女子相手の試合ではパワー面では圧倒するものの、女子空手家相手に下段蹴りで怯むと正拳突きでKO負け。女子柔道家相手にはグラウンドでも五分五分だったが、一瞬の隙を突かれ腕拉ぎ十字固めでタップ負け 。
打撃を恐がり、組んでも器用さがなく仕留め方が分からない。しかし、それは自分の気弱面から来るのだと薫は思う。
それが一番出てしまったのは、アイドル上がりの女子プロレスラーとの一戦だった。
薫はゴングと同時に女子プロレスラーを圧倒していた。ショー?である女子プロレスと日々シュートの練習をしているNLFSの差は歴然だと思われた。薫も組んだ瞬間勝てることを確信していた。
相手女子プロレスラーは、アイドル上がりと言っても、中高時代不良少女でヤンキーとして有名だったらしく気は強い。薫はそんな女子プロレスラーをコーナーに追い込むとどうやって仕留めようか考えた。
その時だった。
女子プロレスラーは薫をギロッと嫌な目で睨んできた。悪夢のような遠い記憶を呼び起こすような目だった。
この目は(学校時代)わたしのことを虐めてきた友達の目。わたしのことを「ブタ!」と言って小突いたり、蹴ったりしてきたイジメっ子たちの目。特に中学時代のクラスメートだったA子のことを思い出す。不良でヤンキーでとても嫌な子だった。その目を思い出すと薫はなぜか動けなくなった。
気が付くと、薫は女子プロレスラーに馬乗りになられ顔面に何発もパンチを受けレフェリーが試合ストップ。
絶対勝てると思っていたのに薫は悔し涙を流した。あんな、相手を蔑むようなイジメっ子のような目をしたアイドル上がりの女子プロレスラーに負けてしまったことがとてもとても悔しかった。
わたしは世間の差別に負けない!
わたしは決してブタなんかじゃない!
わたしは勇敢なイノシシになる。
第2ラウンドのゴングは鳴った。
鳩中薫は突進した。待ち構える望月雅之。
ふたりの生き様。
その感動の結末はどうなるのでしょうか?
次回更新は土日あたりになる予定。
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