見出し画像

新作 『Genderless 雌蛇&女豹の遺伝子』(5)お父さんが女の人に負けちゃった…。

母が家を出て行ったのはあかねがまだ2才の頃だったそうだ。母の記憶はないが、写真でみる限り美人ではあるがかなり派手で男好きのする顔立ちだとあかねは思う。
あかねが生まれたのは父も母もまだ18才と若く、とくに遊び好きだったと聞く母は格闘技一筋の父は面白味もなく我慢ならなかったのかもしれない。やがて、チャラ男風の男と仲良くなるとあかねを置いて家を出て行ったのだと聞いている。それ以来、あかねは父と祖母の3人ぐらし、殆ど祖母に育てられてきたと言ってもいいだろう。

「お父さん、私もお父さんのように強くなりたい! だから、空手を習いに行ってもいいでしょ? 近所にKG会っていう空手道場があるからそこに通いたいんだ…」

「あかね、お前は運動神経が良くてかけっこが速いんだから、陸上競技とか、、テニスやバスケ等の球技の方がいいと思うぞ。女の子なんだから何も格闘技なんて…」

「え! 何で女の子が格闘技やっちゃおかしいの? NOZOMIさんっていう女の人は男の人と試合して勝ってるよ。シルヴィア滝田さんもそう。そのシルヴィアさんはKG会空手出身なんだってさ」

苦笑いを浮かべた植松拓哉はかわいい娘を抱き上げた。リング上の植松は氷のように冷酷だが、家での彼は何処にでもいる娘にデレデレの父親そのもの。そんな父の甘さを幼いながらもあかねは気付いていた。

“ お父さんはわたしの我儘を何でも聞いてくれる。強くてやさしいお父さん”

あかねがKG会空手道場に通い出したのは小学校一年の夏休みから。父拓哉はその半年前24才でMMA70kg以下級王者に無敗で上り詰めていた。父25才、娘7才であった。
その4年半後に、父とNOZOMIの死闘が行われることになろうとは、幼いあかねには知る由もなく想像さえしたことがない。

あかねが空手道場に通い出してからというもの植松は娘の素質に驚きを隠せない。
まだ、道場に通う前の幼稚園の頃から植松は遊び、否、戯れあいという形でレスリングやボクシング、それに関節技や絞め技をあさみに教えると何でも簡単に覚えてしまう。そのカンの良さと身体能力の高さに気付いてはいたが性格は我儘で甘ったれ。
SG会のような厳しい空手道場なんか長続きするはずはないと思っていた。

「流石、植松さんの娘さんです。もしかしたら、女子ではあのシルヴィア滝田以来の天才かもしれません。稽古では年上男の子を圧倒して泣かせてしまうこともしばしばです。アナタに似てとても冷静です」

道場の師範にそう聞かされた時は複雑な気持ちになった。植松は娘の身体能力は陸上競技やテニスやバスケ等の、格闘技以外のスポーツで活かしてほしいと思っていたからだ。特にテニスは旅行した時にやらせてみるとかなり素質がありそうで、コートの上で躍動するあかねを夢見ていた。

“あかねもオレと同じように「格闘技」という茨の道を進もうというのか?”

 デビュー戦を完勝したあかねがリングを降り控室に戻る際、客席にいる父拓哉と目が合った。とても複雑そうな空疎な目。デビュー戦を飾った娘を祝福し、もっと明るい笑顔を送ってほしいのに、、、同じ暗い目でも、あの氷点下の男と謂われた現役時代の冷酷な目とは全然違う。あれは内面を隠すファイト用で鋭い眼光があった。今の父の目はあまりにも覇気がない。
父がこんな目になったのは、8年前のドナルド・ニコルソン戦を最後に引退してからだったかな? 否、厳密には11年前のNOZOMI戦からその兆候があったのかもしれない。

“ 父が軽い?鬱になったのは私のせい… ”

※ この物語現進行時点は、vs NOZOMI戦から11年後、NOZOMI & ASAMI 引退式から10年後、vs D・ニコルソン戦から8年に設定しておりますが、時系列的に、そして、その時系列からくる年齢等に多少の矛盾があるかもしれませんが読み飛ばしてください。
AKANEデビュー戦時点は、あかね23才で
父拓哉は41才であります。

再び過去に遡ります。

「あかねちゃんは強いね、流石、MMA絶対王者植松拓哉さんの娘さんだ。何を教えてもすぐ覚えてしまう。末恐ろしいよ…」

あかねは小学校1年で空手を習いに行くと、それだけでは物足りないのか? 父の所属する格闘技ジムへ遊びに行く感覚でよく顔を出した。そこで、父やトレーナーに色々格闘技のノウ・ハウを学ぶと恐ろしいほどの飲み込みの早さで強くなっていった。植松拓哉もその素質に、自分の娘ながら恐ろしく感じるほどだ。学校でのあかねは、走らせても泳いでも何をやらせても、スポーツなら男子を含めても一番だった。
そんなあかねにとって、一番誇りに思うことは  “私のお父さんは日本一強い!” ということだった。試合ではニコリともしない氷点下の男と云われ恐れられているお父さんだったが、家では、あかねの前ではいつも静かな笑顔を絶やさずとてもやさしい。
あかねはそんなお父さんが大好きだ。

あかねが小学校1年から5年までの4〜5年の間は、父は日本MMA界70㎏以下級で絶対王者であり続けた。その冷酷で圧倒的な強さは“氷点下の男”との異名でパウンド・フォー・パウンドとの評価。誰もが植松を恐れ挑戦するものなどいない。もう、日本には戦う相手などいないと思われた。
父は日本を飛び出し、舞台を海外に移し世界最強ドナルド・ニコルソンに挑戦しようと考えているようだった。

「お父さん、日本一じゃなくて、今度は世界一になるのね? 今まで一回も負けたことないんだもん。なれるよ!」

「ハハハ! ニコルソンっていう選手はとても強くてそんな簡単な相手じゃないんだ。でも、なれるように頑張るよ」

あかねにとって父は日本一、否、世界一大好きで自慢だった。

あかねが小学校5年生の時だ。
父の海外進出は既定路線だったのだが、その前に日本で最後の試合が決まりかけていた。これは植松拓哉の壮行試合の意味合いが強かったが、相手の筈だった堂島龍太という選手がその権利をNOZOMIという女子選手に譲ってしまった。何でも堂島選手は実の妹と対戦するのだそうだ。
父は女子選手と戦うことに難色を示したが色々な経緯があったのだろう?その挑戦を受けざる得なくなったようだ。
あかねも雌蛇と喩えられるNOZOMIという女子選手のことは知っていた。憧れに近い気持ちもあったかもしれない。でも、父が女の人と戦うなんて信じられない。

NOZOMIという女子選手が、いくら突然変異魔女の化身「雌蛇」と恐れられ、次々と男子選手を倒してきた史上最強の女子ファイターだといっても相手は私のお父さん。世界一になろうとしているお父さんが、女の人に負けちゃったらどうしよう?… なんて露ほども心配していない。あかねにとって父は絶対的な存在なのだ。

“お父さんに敗北なんて絶対にあってはならない。女の人なのに、お父さんと戦おうなんて、、、恐い目に遭っちゃうよ…”

植松拓哉にとって、娘のあかねが自分のことを宗教にも似た気持ちで信じ切っていることは大変なプレッシャーであった。娘の前では絶対無様な姿は見せられない。それが不幸の始まりだったのかもしれない。

その日を迎えた。

植松拓哉は自分の試合をあかねに目の前で観ることを許していない。それはあまりにも生々しく残酷なシュートマッチであり、この会場の何処かで娘が見ていると思うと気が散る可能性がある。植松は相手を倒すことに全神経を集中するタイプ。それでこそ冷酷な氷点下の男になり切れるのだ。

会場に来ることを許されていないあかねはいつものように大好きな祖母と一緒にテレビの前に座った。テレビの中の父は、いかにも戦う男という感じでかっこいい。相手のNOZOMI選手は背が高くて本当にきれいだけど、こんな女の人が日本最強の父と戦って大丈夫だろうか? ちょっぴり心配だけどやさしい父のこと、女の人をケガさせるような無茶はしないとあかねは思う。

ゴングは鳴った。
植松拓哉はこの試合まで12連続1RでKOかタップアウトで相手を倒している。その殆どが3分以内である(1R5分)。

“ NOZOMI選手は何秒持つかな? 1分持ったら凄い。でも、なんかお父さんもやりにくそう。いつもと違う感じがする…”

いつもと違うと思ってはいたが、あかねは何の心配もしていない。父は絶対だと完全に信じ切っている。植松は組んでも離れてもNOZOMIを圧倒していた。それでも信じられないことに1Rの5分を持ってしまった。あかねは “お父さんやりにくそう。それに女の人相手だからケガをさせないようにしているのね?それでもNOZOMIさんって女の人なのに強いのね…” と、まだ余裕で観ていた。しかし、2Rに入って植松の猛攻が始まってもNOZOMIは決定打を赦さない。
あかねはNOZOMIの身体の柔らかさに驚いていた。関節を極めそうになっても首を絞め上げてもスルスルと抜けていく。打撃でも巧みなガードで逃げ切ってしまう。

気が付くと最終3Rになっていた。

そして、あのシーンが訪れる…。

最終ラウンド、ここで決着を付けようと植松が鬼の形相でNOZOMIを追い込んだ。防戦一方のNOZOMIを見てレフェリーが試合を止めようか迷っているようだ?あかねもやっと終わったと思った。

その時だった。

スリップダウンしたNOZOMIに植松が襲いかかろうとするより先に、NOZOMIの長い脚が植松の足を下から引っ掛けた。不覚にも植松はそれを避けきれず尻もち。
そこへ恐るべき速さでNOZOMIが植松に飛びかかると背後に回り、首に胴体にその長い手足で巻き付いたのだ。

あかねは目の前の光景を信じられない気持ちで観ていた。こんな父の姿は今まで見たことがない。絡み付いたNOZOMIの手足を必死に振りほどこうとする父。しかし藻掻けばもがくほど深々と女の手足はまるで蛇のように父を絞め上げた。実況では「これが無間蛇地獄だ!」と叫んでいる。

やがて、あかねの父は女の長い手足の中で動かなくなった。レフェリーはそこで試合を止めた。NOZOMIがその身体から離れると父は仰向けに気絶していた。

茫然自失のあかね、、、祖母は顔を両手で覆いその目に涙を浮かべている。


う、う、うそでしょ?  お父さん。

だって相手は女の人なんだよ、、、そ、そんなの信じられないよ。

お、お父さんが女の人に負けちゃった…。


つづく。

次回更新は来週になります。




いいなと思ったら応援しよう!