女豹の恩讐『死闘!兄と妹。禁断のシュートマッチ』(68)嘘ついたら針千本飲ます。
麻美の肩に逆さまに担がれ、そのまま頭からマットに叩き付けられた龍太。
頭がマットに強打する前にダメージを最小限に抑えようとおかしな動きをしたことが裏目に出てしまったのか?
その落ちた角度は誰の目にも不自然で危険を感じさせるものであった。
立ち上がるどころかビクとも動けない龍太を見たレフェリーは、慌てて試合を止めた。
試合は第三ラウンド 4分37秒。
レフェリーストップによりASAMIの勝利であり兄は妹に敗れた。
しかし、勝敗より龍太の身体の状態が心配である。レフェリーが、ドクターが、セコンドが龍太に呼びかける。
どの顔も深刻そうだ。
龍太に意識はあるのだろうか?
麻美は勝ち名乗りを受けるのも忘れ、心配そうに動かない兄を見ている。
只、リングに立ち尽くすだけ。
龍太は物々しい雰囲気の中、担架で運ばれそのまま病院へ向かうようだ。
リング上の惨事に、場内も静まり返っている。皆、龍太の父、堂島源太郎のリング禍が頭にあるのだろう。
父子2代に渡って不幸があってはならない。それはあまりにも残酷である。
それでもメインは行われた。
リング上に植松拓哉とNOZOMIがインすると両者の睨み合い。場内から大歓声が飛び交う。70kg以下級最強の男に史上最強の女が挑むドリームマッチ。
植松拓哉(29) 176cm 69.5kg
NOZOMI(28) 182cm 63.5 kg
本来、植松は70kg以下級王者であり、それに対してNOZOMIは65kg以下級。
それでもNOZOMIは階級を超えて植松に挑んできた。
NOZOMIが植松を破れば、シュートマッチにおける男子階級で歴史上初の女子王者誕生ということになる。
それも、パウンドフォーパウンドと言われる植松に勝つようなことがあれば驚天動地のジャイアントキリングだ。
植松はこの試合に勝てば国内では無敵で相手はいなくなる。
本場米国のMMAに活躍の舞台を移すつもりだ。彼は過去に3度本場で試合をしておりその全てをKOで勝利。
今の植松ならば、70Kg以下級世界王者
ドナルド・ニコルソンを倒す可能性もあるのでは?との声もある。
「女がリング上でシュートマッチするのも私は賛成出来ない。それが男に挑戦しようなんて何を考えているのだろうか? 彼女は今夜の試合で恐怖を感じ男に挑むことの危険さを思い知ることになる。NOZOMIはあの無差別級の渡瀬耕作さんをKO寸前まで追い込んだという人がいる。でも、渡瀬さんは私の目には本気で戦ってないように映りました。私はガチでいきます」
無口でマイクパフォーマンスすることのない植松が珍しくマスコミの前で対戦相手を挑発した。
氷点下の男 植松拓哉
vs
雌蛇 NOZOMI
こうしてゴングは鳴った。
NOZOMIのリング衣装はいつものように蛇柄のスポーツビキニである。
この試合も5分最大5ラウンドまで。
・・・・・・
誰もが目を疑う結果になった。
(実況)
「信じられません!第5ラウンド3分48秒、リング上であの絶対王者パウンドフォーパウンドと言われる植松拓哉がうつ伏せに倒れています。恐るべき雌蛇NOZOMIの罠で無限蛇地獄に陥り失神させられました。最強の女が最強の男を倒しました。史上初めて男子の階級で女子がベルトを巻きます!」
男子階級で女子が王者になることは、NLFSの悲願であった。
試合は三ラウンドまでは植松の一方的な展開になった。執拗にNOZOMIは植松に組み付こうとするがそれを許してくれない。
植松はかなりNOZOMIの戦い方を研究し対策を練ってきたようだ。
組んでも離れても植松の力が誰の目にも一枚上に見えたであろう。
植松の強烈で重い打撃にNOZOMIは何度かダウンを奪われるも植松は組み付いてこない。彼の打撃はMMA流の打撃でキックやムエタイとは別種。それにNOZOMIは戸惑ったのか苦戦する。
目尻をカットし、顔面を腫らし、口も切り鼻血も流す場面もあった。
時折繰り出す絞め技も強烈でNOZOMIは何度か気が遠くなりそうになった。
それでも、植松の攻撃は決定打にならず気が付くと4ラウンドが終わった。
植松はNOZOMIの蛇のような身体の柔らかさと運動神経に舌を巻いた。
必ずKOすると豪語していた植松は、女子相手に判定まで持ち込まれるのはプライドが赦さない。
氷点下の男が熱くなった。
最終ラウンドになると、一気に決着付けるべく植松の猛攻が始まった。
コーナーに追い詰められたNOZOMIが巧く背後にまわると植松に巻き付く。
雌蛇の罠である。
NOZOMIの長い手足が大木に巻き付く蔦のように絞め付ける。
そして、植松の首に両腕が胴には両脚が密着し巻き付いた。
それは完璧にきっちり極まった。
こうなれば、もがけばもがくほど深々とはまり脱出は不可能である。
無限蛇地獄。
しばらく抵抗していた植松の動きが鈍くなりやがて動きが止まった。
勝ち名乗りを受けたNOZOMIも、その美しい顔が無残に腫れ上がり満身創痍であった。そのまま座り込む程だ。
(もう一度、植松さんと戦ったらもう絶対に勝てない。村椿さんじゃないけど燃え尽きたわ。真っ白な灰のように。
来年、麻美と戦うだけの気力が残っているかしら? それより、龍太くんは無事なのかしら?...)
NOZOMIは龍太のことも頭にあった。
・・・・・・・・・・・・・・・・
新年を告げる除夜の鐘が鳴って3時間以上も経つのに、龍太からも麻美からも今井宗平からも何の連絡もない。
あの三人は何をしてるんだろう?
佐知子はイライラしていた。
(いや、きっと今頃は宗平さんの車で家に向かっている頃だわ。早く帰ってこないかしら? 今年の御節料理は超豪華なので驚くわよ。試合が終わった龍太と麻美は腹ペコでしょうね。ふたりとも食いしん坊だから欠食児童のようにガツガツ食べるに決まってるわ)
佐知子は半分気がおかしくなっていたのかもしれない。
麻美が龍太を抱え上げマットに頭から打ち付けた時の異様な角度に心臓が止まりそうになった。
思い出しちゃいけない!その残像は頭から追い出せという無意識の心理。
“ 試合が終わったら恨みっこなし。ふたり揃ってまっすぐ家に仲良く帰ってきなさい! 元日はみんなで楽しく笑いながら御節料理を突こうね”
その約束だけが佐知子の支えだ。
(あのふたりはやんちゃなところはあるけれど、ウソはつかないし、私との約束は絶対に守る子達だからね...)
連絡があったのは元旦早朝5時過ぎ。
スマホを見ると今井宗平からだった。
メールではなく電話だ。
「もしもし...」
「佐知子か?」
「はい! 今どこにいるの? 早く戻ってみんなで御節料理食べようよ。いい加減待ちくたびれたわよ」
「・・・・・・」
「宗平さん何黙ってるの? そこに龍太いる? 麻美は?いたら代わって...」
「うん。でも、今日は帰れないんだ。
佐知子ごめん!」
「何言ってるの宗平さん、 あんなに固く約束したじゃないっ! 嘘ついたら針千本飲まされるんだからね。閻魔様に舌切られちゃうんだよ!」
「佐知子、、落ち着いて聞きなさい。実はね、、龍太なんだけど...」
「そんな話は帰ってからにして! 今、美味しい卵焼きとお雑煮作ってるから忙しいのよ! 早く帰ってきて...」
佐知子はそう言うと一方的にスマホの電源を切ってしまった。そして玄関のポストに新聞を取りに行くのだった。
心がザワつく佐知子。
つづく。