新作 『Genderless 雌蛇&女豹の遺伝子』(22)拳児と美由紀、禁断のシュートマッチか?
植松あかね(AKANE)の衝撃的強さに、それを会場の片隅から観ていた堂島龍太は妹の麻美を思い出していた。アカネの強さ、その格闘スタイルは麻美と似ているところがある。彼女は雌蛇NOZOMI、女豹ASAMI以来の逸材、再来と云われるが、タイプ的には身体の柔軟性を活かしてジワジワと罠に掛けるNOZOMIではなく、全身のバネを活かし一瞬で極めてしまう攻撃性が強い。MMA男子1位ファイターを冷静に仕留めるのだからその強さは尋常ではない。
これで年末格闘技戦で、王者鞍馬友樹に挑戦することになったが、龍太は鞍馬に取材したこともあり良く知っている。
“鞍馬の実力は本物だ。植松拓哉を尊敬していたという彼と、植松の娘であるAKANEが戦うことになろうとは、、、でも、勝負は目に見えている。鞍馬はケタ違いに強い”
リング上では第9試合も終わりいよいよメインが始まろうとしていた。花道の向こうからやって来るのは奥平美由紀である。
プロデビューにあたって、美由紀の登録名は『スパイダー・美由紀』と発表されていた。リングに向かって来るのは『スパイダー・マン』の衣装に身を包んだ人影。
(実況)
「こ、これは! 花道の向こうから歩いて来るのは、、なんと、スパイダーマンだ!この身のこなしはまさにスパイダーマン。まるでヒップホップダンスを踊るようにスパイダーマンがやってきた。でも、この身体のラインは男子ではありません。スパイダーガール、その正体はスパイダー美由紀なのでしょうか? 」
スパイダーマン姿の奥平美由紀は、そのままリングに向かって走り出すとスパッとコーナーポストに飛び乗った。そして、スパイダーマンが宙に舞う如くリングに降り立った。すごい跳躍力だ。それを見ていた龍太は遠い日のことを思い出していた。あの日、父源太郎と戦うNOZOMIが入場してきた。彼女はセーラー服でやってくるとコーナーポストに飛び乗り、宙で一回転すると父の待つリングに舞い降りたのだ。
リングに降り立ったスパイダーマンはその場で全身を前後左右、時には高くジャンプしながら目まぐるしくトリッキーに動き出した。その動きは蜘蛛というより忍者のようでもある。 “ 宍戸は奥平美由紀は魔術を使うと言ったが忍術ではないのか?”
龍太は美由紀の躍動感ある入場シーンを見てただならぬものを感じた。恐るべき運動神経、、、まさにスパイダー・ガールだ。
スパイダーマンのマスク、衣装に身を包んだ美由紀はそれを瞬時に脱ぎ捨てた。中から現れたのは、おかっぱボブヘアーのまだあどけなさの残る少女。全身はNLFSカラー真紅のワンピース型水着。どこにでもいそうな少女であるが、よく見るとうっすらと腹筋も割れしなやかに鍛えられているのが分かる。半年前まで中学生だった少女が、伝説の元世界チャンプと本当に戦えるのだろうか?そんな周囲の心配をよそに、当の美由紀は憧れの宍戸拳児と戦えるのが嬉しくて仕方ないのか? 緊張の色は一切なく明るい笑顔さえ周囲に振りまいている。
反対側の花道から宍戸拳児がやってきた。
ヒップホップダンスを踊るようにトリッキーな動きで入場してきた美由紀とは対照的に、その目はまっすぐリングを見据えゆっくり歩んで来る。これが世界を舞台に多くの名勝負を演じてきた王者の貫禄なのだ。
宍戸はロープを跨ぐと、鋭い目を美由紀に向けた。そんな宍戸に美由紀は近寄ると、なんと、無邪気な笑顔で「今日はよろしくお願いします!」と頭を下げてきた。
宍戸はその屈託のなさに面を喰らった。
“この女の子はこの試合がシュートマッチであることを理解しているのか? それとも怖いもの知らず只のアホなのか?”
宍戸は例え相手が16才になったばかりの少女であってもいい加減な気持ちでリングに上っていない。この試合は総合ルールなのだ。NLFSという組織が元世界チャンプ相手にリングに上げてきたということはそれなりの自信があるからなのだろう。宍戸はいざリングに上ってみると、こんな女の子の挑戦を受けたことを後悔していた。
“試合は総合ルールでも、16才の少女に敗けてしまえば過去の名声すべて失われてしまう。俺は(鉄拳)宍戸拳児なんだぞ!”
宍戸拳児と奥平美由紀がリングで相対する姿を見て龍太は又遠い日を回想した。
父とNOZOMIの一戦は、父35才、NOZOMIは17才の時であった。宍戸拳児は龍太と同じ34才であり、奥平美由紀は16才である。あの時の状況に似ている。絶対に負けられないプレッシャーがあるのは宍戸の方だろう。それに比べ、奥平美由紀には全く緊張の色が見えずリラックスしている。相手を倒そうと考える宍戸に対して、そんな憧れの宍戸と戦えることに喜びを感じているのか? 奥平美由紀はこの試合を楽しもうとさえしているように見える。
“拳児、お前は誇り高き世界チャンプ。こんな試合、、オファーを受けるべきではなかった。負けたらどうするつもりだ…”
龍太は親友である宍戸拳児が心配でならない。どうしても、24年前の父とNOZOMIの試合と重ね合わせてしまう。当時、10才であった龍太にとって、尊敬する父が17才の女子高生に負ける姿なんて想像もしたくなかった。しかし、父は女子選手の腕の中で失神、、リングに倒れた時のショックは今でも悪夢として夢見ることしばしば。
父は宍戸拳児ほどのビッグネームではなかったが、キックボクシングの元日本王者であり総合ルールの経験もあった。それに比べ宍戸拳児は総合ルールで戦うのは初めてなのだ。彼はボクシングしか出来ない。
奥平美由紀の真の実力はベールに包まれている。彼女は幼少期から周囲には天才柔術少女と謂われてきたが、高名な柔術家であった両親の方針だったのか? あらゆる大会に出場させることはなかった。従って、この宍戸拳児との試合が美由紀の初実戦ということになる。しかし、伝え聞くことによると、奥平美由紀は魔術のような柔術を使い、打撃もNLFSでの三年間で恐ろしいほど上達したという。特に植松あかねと出会ってからは、アカネの精密機械のようにピンポイントで刺す打撃も学んでいる。
あのNOZOMIこと山吹望が美由紀を見て「あの子は恐ろしい子。まるで魔術師のような柔術に加え、あらゆる格闘技を吸収してしまう。天賦の才というなら、麻美やアカネ、否、私以上かもしれない…」そう言っていたという。
もし、それが本当ならば、総合ルールで拳児に勝ち目はない。龍太はそう思いつつも一縷の望みもあった。
“ 拳児は総合ルールで植松あかねに勝てると思うほど愚かではないと言った。そういう謙虚な姿勢が大切なのだ。それに、奥平美由紀という少女がいくら悪魔的天才であっても実戦経験はない。いくら道場で強くとも実戦は別だ。拳児は世界を舞台に様々な修羅場をくぐってきた”
龍太は会場を見回した。
遠くの客席に、宍戸拳児の息子球児君が母親と一緒にリング上の父を見つめている。彼は小学六年の12才。龍太の息子瞳太郎と同学年で、学校こそ違え同じ少年野球チームに所属する仲間なのだ。
もし、尊敬する父が16才の女の子に敗れてしまったなら? 球児君はどんなにショックを受けるだろうか? 24年前の自分、少年龍太はあれから人生観が変わった。球児君とあの時の自分の姿が重なる。
宍戸拳児が万一、奥平美由紀に敗れるようなことあれば、ショックを受けるのは息子の球児君だけではない。拳児はボクシング界のスーパースター。全国に彼のファンは大勢いる。それが16才の少女に倒されたなら? 拳児に憧れ夢を託してきた多くのファンは現実を受け容れられないだろう。
“ 拳児、お前はボクシングだけやっていれば良かったんだ。何故、こんな異性異種格闘技戦のリングに上がったのだ?奥平美由紀は危険な相手だ。それに、勝っても何も得るものはないんだぞ… ”
この試合は60kg以下契約。
宍戸拳児(34) 172cm 59.5kg
スパイダー・美由紀(16) 171cm 58kg
リング上の奥平美由紀を見つめる榊枝美樹は、これがデビュー戦だというのに緊張感が見えず落ち着いている美由紀に驚いていた。緊張しているどころか楽しそうだ。
「美由紀は幼い頃から宍戸さんの大ファンだったのよね?」
「はい! ポスターまで貼ってました」
「憧れの人と戦うのはどんな気持ち?勝てると思う? 彼は鉄拳と恐れられるパンチがあるのよ。一発でも受ければお終いよ」
「宍戸さんのパンチ受けてみたい気持ちもあるけど全力で戦いますから大丈夫。わたしなんか宍戸拳児さんに勝てると思っていないし正直こわいけど、それより憧れの人と戦えることが嬉しくて嬉しくて…」
試合前美由紀とそんなやり取りがあった。
あの子はまだ自分の真の力を知らない。
美由紀が宍戸拳児を倒したなら?世間は大騒ぎになるだろう。スパイダー・ガール伝説の序章になるだろう。
(実況)
「さあ、いよいよゴングが鳴ります。ボクシング界のスーパースター宍戸拳児が、謎の少女の挑戦を受けます。鋭い目の宍戸と笑みを浮かべているスパイダー美由紀」
ゴングは鳴った。
禁断のシュートマッチの行方は?
つづく。