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『ペルシアン・ブルー17』
21章 アルタクシャスラの章
気がついた時は、躰が宙に舞い上がっていた。
何がどうなったのか、わからない。
アルタクシャスラ王子は部下たちと共に駱駝の間に伏せ、ひたすら砂嵐が過ぎるのを待っていたのだが、その駱駝たちが今は、逆さになって脚をばたつかせ、もがきながら彼の周囲を流されていき、みるまに天高くまで巻き上げられていく。
なすすべもなく手足を広げた兵たちの姿も、その砂の滝の中に見え隠れした。悲鳴をあげているのかもしれないが、王子にはほとんど聞こえない。すぐそこに渦巻く風の壁があるのに、すべての物音は遠くなっている。
アルタクシャスラはその竜巻の中心部で、一人、何事もないかのように宙に浮いていた。はるか下方から頭上高くまで、巻き上げる砂の渦が荒れ狂っているというのに、渦の中心部は静寂そのものなのだ。
しかし、
「初めてお目にかかる、アルタクシャスラ王子。ようこそ、わが領土へ。砂漠の長旅、さぞお疲れだろう」
わざとらしく慇懃な挨拶を聞き、王子は浮かんだまま身をひねり、振り向いた。少し離れて、冷笑を浮かべた黒衣の人物が、中空からこちらを見下している。
浅黒い肌、陰険そうな黒い目、乱雑に切った黒髪。そして、これだけの砂嵐と竜巻を引き起こす力。
なるほど、ダラヤワウシュの証言通りだと王子は思った。これが、パリュサティスとミラナをさらった魔物に違いない。では、自分は正しい目的地に近づいているわけか。
――それがわかっただけでも、有難い。部下たちを、見当違いの砂漠へ引き連れてきたのであれば、救われなかったところだ。
「派手な歓迎、痛み入る。早速だが、わたしの妹は無事でいるのか」
すると、魔物はわずかに笑った。もしも人間であったなら、盗賊か船乗りかと思えるような、不敵で精悍な面構えである。
「さすがは噂に高い王子、このくらいでは動じないか」
このくらい? してみると、この砂嵐も竜巻も、この魔物は面白がって作り出しているのだろうか。我々を脅えさせ、屈服させ、這いつくばらせるために?
アルタクシャスラにとっては、恐ろしいというより、呆れる気持ちの方が強かった。これだけの力を持ちながら、そんなくだらない目的のためにしか使えないとは、何という心の貧しさだろう。
もしも、自分にこの十分の一の力でもあれば、どんなに素晴らしいことができるだろうかと思うのに。
改革を夢見ているのは、パリュサティスだけではない。奴隷のいない世界。誰にでも学問が許される世界。戦争ではなく、交易でつながる世界。
しかし、自分は現実の厳しさを前にして、長いこと立ちすくんでいた。世界の未来を兄に任せて、自分は責任逃れをしていたかったのだ。その卑劣が、パリュサティスをどれだけ絶望させただろうか。
「心配するな、命はある。大事な人質だからな」
その言葉で、心に刺さっていた刺が、ほんの少し、ゆるんだ気がする。せめて、あの子に詫びることが出来れば。
「それはよかった。侍女のミラナも無事か」
アルタクシャスラが何気なく尋ねた一言に、魔物はなぜか片頬をゆがめた。
「妹ばかりか、その侍女にまで手をつけているのか。さすがは、好色のペルシア王家だな」
その台詞は意外だった。兄ならば、そのように誤解するのは無理もないが……
魔物はまだ、二人の身に手出しをしていないのか?
パリュサティスが清らかな乙女であることは、アルタクシャスラが誰よりよく知っているし、ミラナもまた、忠義一筋のまじめな娘である。だからこそ、他の男たちから守るために、自分の〝お手付き〟という形をとっていた。
魔物が二人を犯していれば、無垢の身であることは、すぐにわかっていたはずだ。こいつには、そういう意味での欲望はないのだろうかと、アルタクシャスラは疑問に思う。そもそも、魔物が人間とどのくらい異なるものか、こちらには何も手掛かりがないのだ。
「二人とも、わたしの大事な女だ。どちらも、無事に取り戻したい。引き換えに、欲しいものがあるなら言うがいい」
ふん、と魔物はあざ笑った。
「欲しいものがあれば、いつでも自分で手に入れる」
「盗んだり、奪ったりして、だろう」
「おまえたちのような支配者も、人民から盗んでいるではないか」
「適切な税を取り、それを国土のために使っているのだ」
道路を維持し、水路を掘削し、民を盗賊の襲撃から守る。とはいえ、過剰に取り立てていないとは言えないが。
「おまえは、おまえの力を無駄に使っているようだな。宮殿から女をさらって、何の役に立つというのだ」
アルタクシャスラも勿論、交渉が通じる相手とは思っていないが、何か話をすれば、多少なりとも相手のことがわかるかもしれないからだ。少なくともこいつは、人間の言葉を話す。
「女神の娘とやらが本物なのか、知りたくてな。だが、どうやら、ただの小娘のようだ。神聖な力など、何も持っていない」
竜巻の中心で、魔物は挑発するかのように言う。
「それでも取り戻したければ、俺を倒すんだな。早くしないと、二人とも俺の毒に染まるかもしれないぞ。魔物の子供を宿せば、人間の女ではいられなくなるかもしれないからな」
違う、とアルタクシャスラは感じた。
言葉通りに受け取るべきではない。こいつは、ただ、わたしを怒らせようとしているだけだ。退屈しのぎに、軍隊と戦いたいのだ。
これほどの力を持っていて、そんなことしか、することがないとは。
「――寂しいのか」
アルタクシャスラが問うと、魔物は一瞬、目を見開いた。そして、何か不吉なものにでも触れたかのように、わずかに後退る。
言葉が効いたのだ。自分は、こいつの弱点を掴みかけている。
「仲間とか、家族はいないのか……同じ魔族の女はいないのか?」
黒髪の王子が重ねて問うと、魔物は、咄嗟には返事ができないようだった。上背のある立派な体格をしていながら、不意を突かれて立ちすくむ態度……それはどこか、ダラヤワウシュに似ている気がする。
正直なのだ、とアルタクシャスラは感じた。自分のような卑怯者なら、いくらでも繕う言葉が出てくるのに。
「そうか。おまえは孤立しているのか。魔王とは、寂しくてならない立場なのだな」
魔物が怒りでふくれ上がるのを感じた。だが、その怒りをどう発散していいのか、迷うらしい。やっとのように、魔物は捨て台詞を吐いた。
「火の川を越えてこい。女どもの目の前で、おまえを殺す」
魔物の姿が消えると同時に、風の音が戻ってきて、アルタクシャスラは突風にあおられた。たちまち渦をえがく砂の壁に巻き込まれて翻弄され、息ができなくなってしまう。
けれど、空に巻き上げられていたのは、それほど長い間ではなかったのだろう。王子はじきに、あっけなく地面に叩きつけられていた。ドサッと砂山にぶつかって斜面を転がり落ちたかと思うと、そこに埋まっていた駱駝の背中にぶつかって停止する。
アルタクシャスラは手探りで駱駝にしがみつき、風がおさまるのを待った。やがて躰に当たる砂の滝が少なくなっていき、風の音も小さくなっていく。
そっと目を開くと、黒い砂の壁は低くなり、はるかな砂丘の向こうに消えかけていた。
しかし、ここはもう、黒々とした山地の麓ではないか。どうやら竜巻のおかげで、ずいぶんな距離を運ばれたらしい。これは、魔物の皮肉な親切なのか。
見下ろすと、アルタクシャスラがしがみついていた駱駝は首の骨を折ったらしく、もはや身動きしなかった。おかげで、今夜の食料ができたというわけだ。いったい、どれだけの兵と駱駝がやられただろう?
立ち上がって見渡すと、山裾にまで迫る砂丘のあちこちに、兵や駱駝が放り出され、貴重な荷がばら撒かれていた。
だが、全滅ではないらしい。兵たちの多くは、そろそろと動きだしている。逆さになった駱駝も、起き上がろうとしてもがいている。
魔物はおそらく、高空からの落下の衝撃をゆるめてくれたのだ。手加減などせず、ここで我々を皆殺しにすることもできたはずなのに。
いや、それは単に、楽しみを先に延ばした、というだけのことか。
(火の川と言っていたな。そこを越えたあたりで、待ち構えているということか)
いずれにせよ、パリュサティスとミラナが生きているとわかっただけでも収穫だ。会って、一言なりとも謝罪したい。それができれば、たとえ魔物に殺されるとしても、ここまで来たことに、多少の意味を与えられるだろう。
22 スメニアの章
――何ていうことかしら、サリールがどこにもいない!!
竜巻に吸い上げられ、やがて砂地に落とされたあたしは、サリールとあたしをつないでいた縄が、すっぱり切れているのに気づいて愕然とした。偶然、誰かの刃物に当たって切れたらしい。
「被害を確認しろ!!」
「埋もれた者や、怪我人の救出を!!」
「駱駝は生きてるか、水の袋は無事か!!」
部隊の隊長たちや王子の側近たちが起き上がって、命令を叫び出しているけれど、ここはもう山地の麓、つまり魔王の結界の内側だった。砂嵐を起こした〝気〟の集中は、軍隊をうまく結界の内側に閉じ込めると、再び山地を守る壁に戻ったのだ。
つまり、魔王を倒さない限り、あたしたちは二度と結界の外には出られない。あたし一人なら、突破して逃げることもできるかもしれないけれど、それは最後の手段だ。
日没まで、あたしはサリールの姿を捜し回った。
ただ、結界の内側であまり力を使うと、魔王にあたしの存在を知られてしまう。徒歩で探すしかないので、効率が悪かった。山裾の砂丘や岩陰には、運悪く生き残れなかった兵の死体が幾つも取り残されている。
仲間に掘り出してもらった死体は、簡単な葬儀のために運ばれていったけれど、砂に深く埋もれてしまった死体は、在りかもわからずにそのままだ。その中のどれかがサリールなのだとしても、思うように〝気〟を使えなくては、確認のしようもない。
幾つもの岩の峰の向こう、ペルシアの軍勢の夜営地では、死んだ駱駝を焼く煙が立ち昇っていたけれど――岩の間から染みだす黒い油を燃やしているらしい――あたしは一人で、岩陰にへたりこんでいた。
まさか、こんなことでサリールを失うなんて。
確かに魔王と戦えば、こちらもただではすまないと覚悟していたけれど、戦うどころか、まだ『軽い挨拶』を受けただけなのに……
「ああもうっ、まだ、残りの二つの願いを叶えてやらなきゃならないのにっ!!」
あたしは砂だらけの髪をかきむしった。ヤスミンに言われるまでもなく、あたしは考えなしの大間抜けだ。サリールを、あたしの香水瓶に押し込めておけばよかったのに。
しばらくそうして悩んだけれど、やがてあたしは顔を上げた。
何といっても、あたしは思い切りのいいのが取柄。サリールに運があれば、また会えるだろうと考えることにした。
そもそも、あたしに会うまで、砂漠でただ一人生き延びてきた青年ではないか。そのうち、自力でどこかの岩間から這い出してくるかもしれないだろう。それができなかったとしたら、ここまでの運命だったということだ。
あたしは左右を見渡し、谷間を縫って山地の奥に向かってみることにした。この先にもまだ、罠や難所があるはず。ペルシアの軍勢のために、それを偵察しておくことも悪くない。これから先は、アルタクシャスラ王子と共闘するべきかもしれないのだから。
***
そうして、岩から岩へと跳び移り、崖を身軽くよじ登っていたあたしだけれど、やがて、岩の隙間から染み出している黒い油で滑って尻餅をつき、うんざりして考えを変えた。
なんでこのあたしが、手足を汚して岩登りしなくちゃいけないの!!
というわけで、あたしは絨毯を取り出して、低速で低空飛行していくことにした。魔王に発見される時には、何もしなくたってされるでしょうよ。
そうして夜の山地を飛ばしていくと、岩壁のあちこちから黒い油が染みだし、あるいは燃える気体が噴出し、それに火がついて、赤い炎の壁になっている場所に幾度も出会った。
そういう谷間には、熱気といやな匂いがよどんでいる。王子の一行がこの難所をどうやって乗り越えるか、魔王は高見の見物というわけね。
「おお、暑苦しい……」
と思いながら先へ進んだら、星明りの下、かなり豊かな泉が湧き出す谷間があるではないの。
あたしは小躍りする気分で、そのほとりに舞い降りた。生死不明のサリールには悪いけれど、生きてるあたしは、水浴びしてさっぱりしたいのよ。
ところが、飾り帯をほどいて水べりの岩にかけた途端、背後の洞窟で何かが動く。はっとして振り向くと、洞窟の奥の闇から、かっと光った赤い目が二つ、こちらをみつめていた。
ただし、その目にこもっていたのは殺意ではない。身を守るための威嚇と、警戒、値踏みの視線――
あたしは黙って立ち、相手の出方を待った。ほどなく、年老いた見事な竜が一匹、のっそりと洞窟から這いだしてくる。
この距離まであたしが気配を感じなかったのは、竜の〝気〟がかなり衰えていたためだろう。
大型の鰐の数倍はある巨体。
乾いて堅くなった荒い肌に、重苦しい呼吸音。
長い歳月を生き延びた威厳ある姿に、あたしはいささか驚いたが、それでも同類である。どちらも、滅びゆく種族の末裔だ。
「初めまして、お目にかかれて光栄だわ……あたしはスメニア、精霊の一族よ。よろしくね。火の帯を越えてきたので、ちょっと水を浴びてもいいかしら?」
礼儀正しく挨拶すると、相手のこわばりは消えた。竜というのは知恵ある種族、しかも年配者となれば希少である。彼は、
「娘よ、おまえ一人か」
と深い声で尋ねてきた。
「わたしはラガシュールという。ここ数百年ばかり、おまえの一族とは会っておらぬ。もうここらには、一人もおらぬかと思っておった……」
太古の昔からの記憶を受け継ぐ、重い声である。
「そうでしょうね。あたしも長いこと、仲間には会ってないわ。きっと、わずかな生き残りも、人間の来ない奥地や孤島に、ひっそり隠れ住んでいるだけでしょう」
あたしからヤスミンを奪った魔王は、あたしたちの仲間ではない。怨念に凝り固まっているうちは、仲間など求めはしないだろう。あたしが戦って勝てば、その曲がった根性を、少しは叩き直せるかもしれないけれど。
「ところで、ここに住んでいるということは、魔王について何かご存じね? 最近、ペルシアという国の姫君をさらってきたらしいけど、見たことあって? 兄王子の軍隊が、姫を探して、すぐそこまで来てるんだけど」
すると、ラガシュールと名乗った竜は、半ば目を閉じた。
「そうか、人間の身でここまで来るとは、その王子も相当な覚悟であろう。しかし、魔王を倒さなければ、誰一人救えはしない」
その方法を、あたしも考えているところだ。
「もし、あなたの知恵を借りられたら、助かるんだけど」
「わたしに出来ることはないと思うが、話せる相手と会えたのは有難い。一晩だけでも、休んでいってくれぬか」
青金石のように星のきらめく夜の底、あたしはラガシュールの洞窟に泊まって、じっくりと話し込んだ。
「へえ、魔王がここの水を守ってるの」
彼が地下水の通り道を新たに作り、涸れかけたここの水源を蘇らせたそうだ。彼は過去に幾度も女をさらっていて、彼女たちを生かしておくために、ここの山地の中央にある庭園を維持しておきたかったらしい。
「彼に助けられなければ、わたしはもう、何百年も前に乾涸びていたはずでな。このあたりの砂漠化が始まった時、草原を追って南下すればよかったのだが、慣れた土地にこだわっているうちに、陸の孤島になってしまった……身動きがとれなくなっていた所へ、あやつが来たのだ」
ラガシュールはできるなら、もっと緑の豊かな土地に移りたいのだ。同じ種族の生き残りがいる土地に。
「しかし、魔王はここにおれと言う。人間たちが、娘たちを取り戻しに来た時のためにな。わたしの姿を見れば、人間たちは恐れて、逃げ出すと思うのだろう」
うーん、だけど、人間たちを防ぐなら、あの砂嵐と火の川でたくさんよ。もしかして、ラガシュールを同族の所へやりたくないんじゃないかしら。
『俺は一人なんだから、おまえも一人でいろ』
という意地悪だとしたら、やっぱり相当、根性が悪い。
「しかし、ここまで来られる男など、百年のうちに数えるほど……それも大抵、あやつに追い払われるか、殺されるかだ」
ラガシュールは嘆息した。でも、方法はきっとあるはずだ。アルタクシャスラ王子は、ここまで二千の軍勢を連れてきた。もはや地上のどこにも、人間を拒める土地はないだろう。
彼らは鼠のように増える。森を切り開いて耕地にする。今日は残っている密林も、明日には火を放たれ、あるいは切り出される。絶海の孤島も、そびえる高峰も、氷に閉ざされた極地でさえも、いずれは踏み荒らされるだろう。魔王だとて、いつまでも領土を守ってはいられまい。
「おお、そうだ、もしも魔王を倒すことができたら、ここの宝も持っていくがよい」
ラガシュールの言葉に、あたしは洞窟の奥をのぞいてみた。そうしたら、あるわあるわ、金銀の細工物やら、宝石の原石やらが山になっている。
琥珀や翡翠、紅玉髄、緑柱石。紫水晶に黄水晶。青金石に空色石。碧玉、鋼玉、石榴石。そして、珊瑚に真珠に象牙――よくも、これだけ貯めこんだわね?
「昔、ここらにわたしの一族がたくさんいた頃、子供たちが集めてきたものだ。竜の子供は、光るものが大好きでな。人間を脅す悪さをして、金貨やら、加工した宝石やらを盗ってきた子もおる。しかし、今はもう、こういう石を集めて遊ぶ子供はおらぬゆえ……」
そう聞いてしまえば、これも悲しい遺産というものだ。宝石好きのあたしとしても、欲張る気はしない。
「魔王を倒せたら、ペルシアの兵たちに分けてやるわ。あなたも、仲間のいる土地に行けるようにする……だから、もう少し待っててね」
その晩、あたしはラガシュールから少し離れた岩棚の上で(夜中に彼が寝返りをうっても、潰されないようにね)ぐっすり眠り、魔王に奪われた、あたしの宝を取り返す夢を見た。
美しく、聡明なヤスミン。精霊の一族の、数少ない生き残り。
あいつにも、何かそういう弱点があればいいのにな。そうしたら、それを盾にして、這いつくばらせてやれるのに。
***
翌朝、あたしは絨毯に乗って、目立たないように低空の岩陰を飛び、アルタクシャスラ王子の一行を偵察に出た。
いるいる、兵たちが黒蟻のように群れて、炎熱の山に挑んでいる。ありったけの槍や剣を集めて縄や布切れで縛り、即席の橋を作って、炎が燃え立つ谷を越えようとしているのだ。なるほどねえ……
危なかったらそっと手助けしようと思って、しばらく見ていたけれど、どうやら、その必要はないようだった。どうしても邪魔になる炎の壁は、砂漠から運んだ砂によって消火する作戦らしい。
兵たちが効率的に配置され、砂の入った革袋を順に手渡ししていくさまを、あたしは感慨と共に見守っていた。一人一人は弱くても、団結して働くことができるのが、人間たちの強みだわ。
あたしの一族は、それぞれが大きな力を持つゆえに、離れて気ままに暮らすのが当たり前……おかげで、子供は減る一方だった。ひ弱な人間たちは、こうして栄え、すべての土地を征服していくというのに。
わずかの間、あたしは、魔王に味方したい気分になった。考えてみれば、たった一人の魔王より、無数にいる普通の人間たちの方が、はるかに巨大で邪悪な存在ではないか?
彼らは木を切り、山や原野を丸裸にして川に土砂を押し流し、豊かな土地を塩分だらけの不毛の地に変えていく。繰り返し戦争を起こし、町や耕地を焼き、何もかも破壊し尽くしては、次の土地へ移住する。
一組の男女が五人も十人も子供を作り、家畜を増やし、一つの土地では暮らしきれなくなって周辺の土地へと溢れだし、他の部族を攻め滅ぼし、あるいは奴隷化して、無制限に増え広がっていくのだ。
ここ数千年の間、人間以外の生き物は、どれほど追い立てられてきたことだろう。あたしたちの一族ですら、かつてのように、白昼堂々と人間たちの神殿に降り立ったり、町を歩いて親しく話したりすることは、もはやできないのだ。そんなことをしたら、王たちの宣伝の道具、戦の道具にされるのが関の山。
この世を滅ぼす魔の種族というものが、もしもあるとすれば、それは、この人間種族のことかもしれなかった。
けれど今、あたしには、魔王と戦うしか道がない……もしかしたら、いえ、もしかしなくても、あたしは人間より、魔王の方に近しい存在なのに。
「ペルシアン・ブルー18」に続く