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『ペルシアン・ブルー12』
15 パリュサティスの章
季節は夏に向かい、元から厳しい日差しは、ますますきつくなる。パリュサティスたちが岩山から外に出るのは、もっぱら朝方と夕方以降になっていた。
昼間は厚い岩壁に守られた涼しい部屋にいて、縫い物をしたり、修理した楽器を鳴らしてみたり。また、宝石を駒にして、石板の上でゲームをしたり。あるいは、山に穿たれた迷路のような通路を歩いて、新しい部屋を発見したり。
そういう部屋には、たいてい、面白いものがある。
どこから運んできたものか、ダラヤワウシュ一世の刻印がある金貨や、珍しい宝石の詰まった木箱。素晴らしい真珠の入った小袋。未知の文字が書かれた布切れ。演奏の仕方がよくわからない、奇妙な楽器。見たことのない意匠の焼き物。知らない動物の毛皮。
もしも、あの魔王が、これらの出所について話をしてくれたら、どんなに楽しいだろうかとパリュサティスは思う。また、空を飛んで旅に連れ出してくれたら、どんなに素晴らしいだろうと思う。しかし、二人の女はほとんど、放っておかれている。
(まあ、その方が気楽といえば、気楽だけれど……)
この暮らしがどれだけ続けられるものか、先の保証はないのだ。食べ物はかなりの部分、岩山の周囲の庭園で収穫できるし、それ以外にも魔王が不自由なく運んできてくれるが、彼が気まぐれをおこして遠くへ行ってしまったり、他の女に夢中になって二人の存在を忘れたり、ということもないとは限らない。
(できるだけ、自力で生きられる準備をしておかないと)
本当は、卵が取れる鶏や、乳の搾れる山羊でも連れてきてくれると、有難いが。それは煩くて嫌だ、と魔王は言うかもしれない。また、動物が増えて、ここの貴重な緑を食い尽くしても困るわけだ。
もしもの場合には、ミラナと二人、歩いてここから脱出しなければならないかもしれない。駱駝の隊列を組んでも難しいと思われる旅を、はたして、自分たち二人で成し遂げられるものかどうか。
自分一人なら、ここで干乾びて死ぬのもよい。だが、ミラナに関しては責任がある。それが、主たるものの心得だとパリュサティスは思っている。
「明日こそ、魚を捕まえてみせるわね」
ある夕方、庭園の隅に座り、干し肉と野菜のスープを食べながら、パリュサティスはミラナに宣言した。今日は朝からずっと、古布をほぐした糸と、骨針とで魚釣りに挑戦していたのだが、なかなかうまくいかないものである。
「今度は、網を作ってすくってみるわ」
ミラナに対しては、なるべくお気楽にパリュサティスは言う。飢える心配のためではなく、退屈しのぎの遊びのように。まあ、今の時点では遊びに違いない。
「それとも、籠を沈めておく方がいいかな。けっこう深そうな池だから、あたしたちが食べる分くらい取っても、魚がいなくなるってことはないと思うのよ」
泉から溢れた細い流れを追って、庭園の片隅に見つけた池は、蓮や水草が茂って底が見えないが、たまにボチャンと大きな水音がするのである。
「あの音からすると、かなりの大物がいるに違いないわ。捕まえるのは無理でも、姿くらいは拝んでみたいわね」
そんなおしゃべりをしながら、チーズやアーモンド、ピスタチオをつまんで、葡萄酒を楽しむ。
古い鍋で作った干し肉と野菜のスープは、ちょうどいい塩加減だった。魔王は、岩塩も忘れずに差し入れしてくれる。葡萄を干して、パンの生地の中に練り込んで、熱くした石に張りつけて焼いたのも大成功だった。ちょっぴり焦がしてしまった部分もあるが、そこは削り落として食べればいい。
ここで暮らしているうち、王宮育ちのパリュサティスも、奥勤めだったミラナも、だいぶ料理や雑用に慣れてきた。
これまでは、たとえ旅の途中でも、火打石で火を熾したり、焚火で料理をしたりは、慣れた兵たちがさっさとしてくれたのだ。ミラナにしても、たまに王宮の厨房を借りて、パリュサティスの好物を作るくらいだった。こうして毎日、自分の手で生活を作り上げていくことは、大変だが、楽しくもある。
「やれば、出来るものよね」
とパリュサティスは誇らしかった。
拾い集めた古い剣を、石で磨いてみたり。炎にかざして、打ち直す真似をしてみたり。木の枝の燃えさしに砂をかぶせて、消し炭を作ったり。椰子の木の皮をはいで、その繊維から糸や綱を作ろうと試みたり。
指にまめや火傷を作り、夢中になって働いて、パリュサティスはふと考える。
もしかしたら、男のいない世界、それこそが、女が平和に暮らせる理想の世界ではないのかしら……
そうしたら、戦争も、略奪も、暴行もないだろう。女は誰も、そんな乱暴なことをしようなんて思わないから。
ただ、子供を授からない限り、未来はないのだが……
それにもたぶん、策はある。女百人につき、五、六人の男を飼っておけばよいのだ。足の腱を切っておくか、盲目にして。残酷ではあるが、彼らは種馬として大事にされる。男優位の世界にいても、戦争や内乱で際限なく殺し合うのだったら、平和な女の世界で飼われる方が、まだましなのではないか?
もっともこの構想は、まだミラナにも話していない。たぶん、怖がられるだろうと思って。
自分には〝論理的帰結〟にすぎないが、それが人々に理解されるのには、数十年、あるいは数百年かかるのではないか。
(どのみち、ここで死ぬのだったら、どんな構想も無意味……)
いったん日が傾くと、あたりは急速に暗くなる。暮れていく空に星が輝きだすと、風が涼しくなり、外にいるのが気持ちよい。
パリュサティスはミラナと焚火を囲み、降るような星空を楽しんでいた。闇に沈んだ草むらでは、虫たちがさまざまな音色で鳴きかわす。考え事を脇にのけておけば、素晴らしい宵だ。
ところが、夜風を巻いて黒い人影が現れた。ミラナは少し脅えたように身構えたが、パリュサティスは軽く誘ってみた。
「久しぶりね、魔王さん。ここへ来て、一杯どう? あなたが持ってきてくれた葡萄酒、美味しいわ。対価を払ってくれると、なおいいけど。ここに山ほどある財宝、そうやって使えばいいのに」
けれど、向こうはやはり、
「ふん」
というような、冷笑的な態度をとる。
(本当は人恋しいくせに、虚勢を張って)
パリュサティスにはそう見えるが、それは魔物だからというより、男だから、なのだろう。
「ずいぶんくつろいでいるようだが、国が恋しくはならないのか?」
「あら、心配してくれるの? ありがとう、ここで楽しくやってるわ」
とパリュサティスは嘘でなく言う。寂しい気持ちは確かにあるが、王宮から遠く離れたことで、かえって、すっきりとものが見通せるような気になっているのだ。
誰が王になろうと、長い目で見れば大差ない。価値のない王なら、いずれ誰かに倒される。尊敬される王なら、長く繁栄が続く。
庶民の女の子に教育を授けるという自分の夢も、長くかかるかもしれないが、いずれは実現されるだろう。自分のように感じる女が、きっとこれからも育つはずだからだ。
どちらにしても、砂漠の只中から動けない自分が心配することではない。元々自分は、たまたま王家に生まれたというだけの、何の力もない小娘なのだから。
「ものを食べる必要がないにしても、飲み物くらいはいいんじゃないの? よかったら、スープの味見をしない? まだ少し残ってるのよ」
魔王の差し入れに対する感謝の気持ちとして、パリュサティスは言った。ほとんど数日おきに、通路の隅や扉の陰に、新しい小麦の袋や、木の葉でくるんだチーズや、焼いた肉の塊が置いてあるのだ。この庭園で収穫できない食べ物は、本当に有難い。
時には、暖かい毛織物や、薄い上等な亜麻布が、まるで風が偶然に運んできたかのように、木の枝にかかっていることもある。よほど細やかな神経の持ち主でなければ(あるいは、暇潰しに、遠くからじっと観察しているのでない限りは)、あたしたちが何を必要としているか、こうも的確に捉えられないはずだとパリュサティスは思う。
「それに、石榴の果汁も絞ったの。美味しいわよ。少しそこに座って、あたしたちとおしゃべりしない? あなたが見てきた遠い国の話とか、聞かせてくれたら嬉しいわ」
すると魔王は何か、たじろぐような気配をみせる。焚火の炎の明かりがかろうじて届くあたりで、不審そうに言う。
「おまえは、俺が怖くないのか……それとも、俺を利用するつもりか」
パリュサティスはつい、笑ってしまう。
「あなたほどの魔力の持ち主が、何を警戒しているのかしら」
けれど、彼が避ける所、怖がる所に弱点がある、という気がした。それは、人でも魔物でも同じはず。
というより、この男、魔力の他は、ただの人間の男と変わらないように思える。そうでなければ、わざわざ女をさらったり、皇太子に喧嘩を売ったりしないはず。
一人では寂しいから、つまらないから、こうして手間をかけて、あたしたちを生かしておくのではないの? それともあたしたちは、軍隊をおびき寄せるための餌というだけ? 軍隊を蹴散らして満足したら、あたしたちも砂漠に放り捨てる?
「参考のために聞くけど、あなたを何に利用すればいいの?」
すると、魔王はふてぶてしい態度で言う。
「おまえの本命の男を、王にするためにだ」
ずきりと胸の痛みが甦ったが、パリュサティスは努力して笑った。
「アルタクシャスラ兄さまは、争いが怖くて、自分から逃げたようなものよ」
望めば、兄を倒して、自分が皇太子になることもできただろうに。それだけの野心はなかった。皇太子に逆らって、自分を手元に置いてくれることも、しなかった。自分はアルタクシャスラ王子にとって、たくさんいる異母妹の一人、というだけだったのだ。
「王位なんて、欲しがる奴が手に入れればいい。あたしは、このままここにいられれば満足だわ。ここは、楽園そのものだもの。都から連れ出してくれて、本当に感謝しているの」
しばし、魔王は何か考えるように黙っていた。それから、捨て台詞を残して去る。
「いつまで強がりを言っていられるか、楽しみなことだ」
***
山々に囲まれた魔王の根城は広く、パリュサティスたちは生活を軌道に乗せることを優先したので、周辺の探検は、まだし尽くしてはいなかった。
ようやくゆとりができたある朝、パリュサティスは磨いた長剣を腰に下げてから(蛇や蠍が出ることがあるので、部屋を出る時は、常に何らかの刃物を持ち歩いている)、適当な薪の束を選んだ。その先端にランプ用の、品質のよくないオリーブ油をかけて、焚火の火を移す。
手頃な松明が出来上がると、岩山の入り口から中の通路へ入り、まだ探険していなかった、地下深くへ降りる階段を調べることにする。
「でも、姫さま、地下は危ないのでは……?」
ミラナが灯芯に火をつけた深い油皿を持ち、不安そうについてきたが、もとより、パリュサティスを止めることはできないと知っている。
「地下に何があるのか知らないままの方が、危ないわ。この際、降りられる所まで降りてみましょう」
この階段は、前に調査しかけて、途中であきらめて引き返してきたものだ。まるで地の底まで続くかのように、果てしなく降り続けている。炎の光が届いた先で、小さな動物たちがキーキー鳴いて逃げていく。一瞬しか見えないので、何の動物なのだかわからない。
無気味でないと言ったら嘘になるが、何事も、怖いと思うから余計怖いのである。興味を持ってしまい、面白いと思ってしまえば、怖さは薄れるとパリュサティスは知っていた。
(これだけ降りてしまえば、登りはかなり苦労するだろうけれど、仕方ないわ)
やがて、足がこわばってきた頃に、階段は平らな床で終わっていた。松明の炎であたりを照らすと、そこは太い岩の柱に支えられた、天井の高い広い空洞になっている。
実は、ぼろ布にくるまった白骨死体や、恐ろしい形相のミイラを予期していたのだが、汚いものは何もなかった。
ただ、岩の柱の奥の方から、はっきりした冷気が流れてくる。まるで、雪か氷でも蓄えているかのように。
「氷室なのかしら。でも、あいつはものを食べないから、食べ物を貯蔵しているとは思えないわ」
「あそこから、冷気が来ているような気がするのですが……」
ミラナの言う通り、岩壁の一部に、わずかな切れ目がある。そこをのぞくと、細い階段が隠されていた。まだ降りるのか。
「行ってみよう」
今度の階段は、そう長くなかった。ただし、降りるにつれて、凍えるほどに冷えていく。
「こんなに寒いとわかっていたら、もっと着込んできたのにね」
「砂漠の地下が、こんなに冷えるとは思いませんでした」
行き着いた先は、凍りついた地底の池だった。そう広くはないが、かなり深いようだ。パリュサティスはそろそろと氷の上に立ち、割れないことを確かめてから、あたりを見回す。
「姫さま、下を」
ミラナが指さす方を、パリュサティスは炎を掲げて見た。青黒い氷の中に、白い女性が閉じ込められている。
「ここは、墓所だったの?」
白い肌に白い衣装だから、雪と氷の精のように見える。氷の中になびいた長い髪は茶色で、整った美しい顔立ちが見分けられた。目を閉じているから、目の色はわからない。常識で考えれば、死んでいるはずだ。しかし、ここは魔王の城なのだから。
「この人も、あいつにさらわれてきたのかしら」
寒さに震えながら氷の上にしゃがみこんで、パリュサティスは、自分の身の丈ほどの深さに沈められている女性をみつめた。
岩山の地下深く、これほど厳重に封じ込めてあるというのは……何か意味があるのではないか。
ふと思いついて、氷の池の表面に炎を近づけてみた。じんわりと、表層が溶けてくる。時間さえかければ、あそこまで氷を溶かすか、掘り砕くかして、この女性を運び出せるのではないだろうか。外へ運んで温めたら、蘇るかもしれない。死んでいるのであれば、改めて埋葬すればいいことだ。
「この人と話せたら、何か魔王の弱点がわかるかもしれないわ」
パリュサティスは意気込んで言ったが、ミラナは浮かない顔である。
「魔王が知ったら、きっと怒るでしょう。わたしたちが、こんな所まで降りてくるなんて、思っていないでしょうから」
勇敢なミラナが、魔王の機嫌を心配するとは珍しいとパリュサティスは感じた。まるで、魔王を怒らせるのが悲しいかのようではないか。
「そうだ、油を撒いて、火をつけたらどうかしら」
ある程度、池の表層が溶けてくれれば、残りの氷を砕くのも楽になるだろうと、パリュサティスは考えた。そうと決めれば、上に戻って準備だ。燃料用の油の壺を持ってくればよい。料理用の高級なオリーブ油も、必要なら、出し惜しみするまい。
その時、突風が吹き込んできた。油皿の火が消え、ミラナが小さな悲鳴をあげる。パリュサティスが入口を振り向いた途端、松明の炎が吹き消された。あたりは真っ暗闇になってしまう。
すぐ横で、魔王の低い声がした。
「まったく、油断も隙もない女どもだな」
明らかに、怒りをこらえている。二人の女は冷たい腕に抱えられ、長い階段をあっという間に運び上げられた。そして、外の草地にどさっと放り出される。
「あの地下室への階段は閉じる。もう二度と、降りていけんようにな」
魔王はすぐに飛び去り、パリュサティスとミラナは庭園に取り残された。
「やっぱり、あの人が彼の弱点なのよ……生きているにしろ、死んでいるにしろ、大事だから、地底で氷漬けにしているんだわ」
パリュサティスの言葉に、ミラナは胸が痛むのを覚えた。
魔王が愛していた人なのかしら。だから、死んだ後でも、美しい姿が崩れないように、大切に守っているの?
それとも……彼の言うことを聞かなかったから、罰として、氷漬けにされてしまったの?
わたしは……もしもわたしが彼を怒らせたら、その時は、どうなるのだろう。外の砂漠に捨てられるのか、獣の餌にされるのか、それとも、あの氷の池に入れてもらえるのか……
「それにしても、あいつ、あれで、生きていると言えるのかしら」
パリュサティスは改めて、ため息をついた。
「冷たい躰をして。ものも食べないで。何て話しかけても、皮肉な薄笑いしか浮かべなくて」
たぶん、本人もつまらないと思っているのではないか。魔王だと自称したところで、仲間らしい仲間もいなくて(いたら厄介だろうが)、この岩の城に一人きり。
人間の女をさらって、追ってくる男たちを翻弄するくらいしか、気晴らしがないのだ。あれだけの力があれば、あたしなら、どんな素晴らしいことができるだろうかと思うのに。
子供たちを抱えて空を飛んでやったら、どんなに喜ぶだろうとパリュサティスは空想する。世界の果てまで探険して、詳しい地図を作ることもできる。道に迷った旅人や、難破した船を助けることもできる。人の役に立つこと、人に感謝されることが、いくらでもできるではないか。
(そういう発想ができないから、魔物なのかしら)
ここでの暮らしは、悪くない。皇太子の元で虜囚でいた頃よりも、ましかもしれない。
だが、死ぬまでここにいたいかと問われたら、違う気がする。もしも自由の身になれたら、自分には、したいことがあるのだ。
女がかどわかされたりせず、安心して出歩ける国。
子供たちが売られたり、去勢されたりしない国。
男でも、女でも、身分にとらわれず、学問をしたい者に学問の道が開ける国。
この地上のどこかに、そういう国を作りたい。できれば、自分が女王になって。おそらく、男ではだめなのだ。本当に、女が生きられる国を作るには。
あたし一人でだめなら、次の世代の女王が。また、その次の女王が。あたしの娘でなくてもいいから、誰か、あたしの考えのわかる娘に次を託したい。いえ、まずは、あたしの命の心配が先だけれど……
「姫さま」
ミラナがぽつりと言った。
「たぶん、それが呪いなんです」
「呪い?」
ミラナは説明を考えながらのように、訥々と話す。
「どうしてああいう魔物が存在するのか、ずっと考えていたんです。不思議な力を持っていても、少しも幸せそうに見えないから……」
確かにそうだと、パリュサティスも思う。この岩山にいくら財宝を運びこんでも、あいつはたぶん、手に取って見ることもしないに違いない。どの金貨の山も、宝石の箱も、砂に埋もれかけていたもの。
「本当に欲しいものを、欲しいと言えない。それがたぶん、あの人にかかっている呪いなのだと思います。もしも素直になってしまったら、たぶん、魔物でいることができなくなるのでは……」
パリュサティスはまじまじ、年上の侍女を見た。あの人、という言い方に、ミラナの気持ちがにじんでいる。
これまでミラナは忠義一筋で、浮いた噂ひとつなかったが。それでも、生身の女なのだ。
あの魔王は、積極的に勧めたい相手ではないが、この際は貴重な楔かもしれない。魔王の心に打ち込む楔だ。
「ねえ、ミラナ、もしもあいつが嫌いでなかったら、優しくしてやってくれない?」
「えっ」
ミラナは驚いたようだ。自分でもまだ、認めかねているのか。自分の気持ちを。
「呪いなら、いずれ解けることがあるかもしれない。もしかしたら、あなたが、それをしてやれるのかもしれないし」
自分の心はもう、別の相手に向けられてしまっているから、魔王を愛してやることは、とても出来ない。けれど、ミラナならとパリュサティスは思う。
「これから、二人で考えよう。あいつの気持ちを和らげる方法が、あるかもしれない。まだ、時間はあるんだし」
ミラナはようやく、ほのかに笑った。
「それを聞いたら、あの人、きっと気を悪くしますわ。自分を利用するつもりか、って」
そうだ。それが出来ればとパリュサティスは思う。もしも魔王の力を利用できたら、自分には怖いものがなくなる。故郷へ戻って男たちをひれ伏させ、自分が女王の座に即くことが、出来るかもしれないのだ。
ペルシアン・ブルー13に続く