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やっちゃば一代記 実録(7)大木健二伝

新入りと背広
 「西洋野菜」といわれた野菜類(セロリ、レタス、トマト、パセリなど)
を青果市場に紹介したのが持丸権三という人物。明治元年、西洋野菜を専門
に栽培し、外国人の多かった横浜で販売したのが蓋開けである。権三の次男
角太郎が栽培産地と消費地をさらに拡大すると、角太郎の長男、与助が持丸
商店を継承し、次男の倉吉が新たに持倉商店を興した。健二は縁あって、この持倉に奉公することになった。
 東京で西洋野菜の専門問屋といえば、京橋大根河岸に持倉と梅村屋、持丸商店、神田市場(現在の大田市場)に嶋和、土佐屋の五店だけだった。持倉では新入りにもオーダーメードの背広にワイシャツ、革靴の一式を支給した。得意先がホテル・レストランの洋食専門店だから、「形だけでも洋風に」という持丸倉吉の粋な計らいである。新米店員の健二たちは背広でさっそうと得意先の営業に出向いた。だが、お客との受け答えに出てくる野菜はすべて
横文字ばかり。戸惑う健二たちにはせっかくの背広も肩身が狭かった。

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