やっちゃば一代記 実録(28)大木健二伝
やっちゃばの風雲児 大木健二の伝記
ピーマンと荷受け
「大木さん、伊豆のピーマンをこちらに廻してもらえませんか?。いったん荷受けに出荷してもらうということで。生産者の手取りが減らないよう一生懸命販売しますから!。」
伊豆のピーマン人気に指をくわえていた卸売会社は大木に三顧の礼を尽くした。経済統制でがんじがらめにされてきた卸売会社にとって集荷力増強は復活への大きな課題だった。
大木はパイオニアとしての自負があった。愛着もあった。心情的には手放したくない。だが、洋野菜を一部の特権的野菜にしてはならない。一般消費者まで食べられるようにしたい、という強い理想があった。荷受けの集荷力によって他の産地もピーマンを栽培するようになり、供給量が増えて手頃になる。値段がこなれてくればピーマンの普及はもっと加速するのだ。
今度は大木は産地を説得する番になった。
「まー大木さんの頼みじゃ、やーとも言えんずら。よし、他の新興産地に負けんように俺たちはもっといいピーマンを作るずら!。その代わり市場も頑張ってちょ!。」
こうして特権的西洋野菜のひとつだったピーマンは、昭和二十五年前後には普通の野菜としてすっかり定着することになったのである。