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やっちゃば一代記 実録(24)大木健二伝

やっちゃばの風雲児 大木健二の伝記
 カラスと格闘
上海周辺は沼沢地が多い。スケールこそ違うが生地の八日市場村の趣があり
大木は故郷につながる縁(よすが)を探すかのように沼沢地に足を向けた。
そこには官舎の給仕が毎日のように料理していたマコモも繁茂していた。
 非番の日には揚子江の支流に魚釣りに行った。中国人はあまり釣りはしないらしく、海水と真水がまじり合う汽水域で鱸(スズキ)がよくかかった。
周囲に誰もいないときは、鐘紡公司の電源から電気を川に引き込み、魚を感電させて獲ったこともある。
 対岸がまるっきり見えない揚子江には人懐こい川イルカがのんびり泳いでいて、すぐ傍に寄ってくる。イルカは戦争を知らないし、敵も知らない。
大木は天真爛漫な愛らしいしぐさに久々に安堵感を覚えるのであった。
 そんなある日、一人の兵士がイルカに缶詰めを投げ与えた。それを丸呑みしたイルカがやがて体をグルグル回転させ、ぐったりしてしまった。兵士はイルカが苦しがるのを見てケラケラと異様な笑い方をした。
 大木は怒りが込み上げてきた。同時に悲しくなった。これが平時なら兵隊にくってかかっていた。戦争は人を変える。やけっぱちになっていたのだろう。死線に身を置く兵隊のよるべない気持ちも分かるような気がした。
 橋の下で釣りをしていたとき、[パッーン]という乾いた音と共に弾丸が耳元をかすめ、橋脚のコンクリートに当たってはじけた。狙撃手は見えない
流れ弾のようなものではなく、明らかに狙い撃ちだ。釣竿を置き捨てると、大木は腹ばいになり下草に隠れるようにして土手を這い登って逃げた!。
銃弾はそれ一発きりだったが、ひょっとしてこの銃弾もあの兵隊がイルカに投げ与えた缶詰と同じでではないか? 兵士も民間人も心が荒んでくると、のんびり落ち着いた静穏な風景にかえって憎悪をたきつけられるのかもしれない。自分にはもう心身の平安はないという喪失感と孤独感・・・・こんな
気持ちに苛まれると、人はたびたび道を外れる行為に走るのだろうか?。
大木は時代の閉塞感に息が詰まるのだった。
 官舎の敷地に大人ふたりでも抱えきれないほどの銀杏の木が聳えていた。
樹上にカラスがっを作り、昼夜を問わず喧しかった。子供が生まれたこともあって、このカラスの行動は迷惑千番だった。
 八日市場村で木登りに明け暮れた頃のことが懐かしく思い出される。
梯子を登り、竹棒でカラスの巣を小突いた。思ったより巣は大きくなかなか落ちない。主のカラスも大きかった。団扇のような羽と大きな嘴で攻撃を仕掛ける。大木は我を忘れて格闘した。下では琴と同僚が呆れたように見ていたのだった。

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