やっちゃば一代記 思い出(11)
大木健二の洋菜ものがたり
太めが大うけ
リーキ
今ではその痕跡すらありませんが、昭和十年代の東京では、江東区の砂町や板橋区内でリーキが栽培されていました。当時は利用者が一部のホテル、レストランに限られ、東京産でも十分間に合ったのです。その後、洋食の普及で消費が拡大し、生産も順調でしたが、夏場の供給だけがどうもうまくいきません。そこで浜松西農協(現JAトピア浜松)に夏用のリーキの栽培を依頼したのです。当時これが予想以上に評価され、なんと八千円(四キロ箱)の高値で取引されました。ただ、利用度の高い白みが少なく、料理に使えるのは全体のせいぜい三分の一。買い手にすれば割高につきました。
そんな状況が二年ほど続いてから、次はもっと白みの多いリーキを手当しようと、海外に目を向けてみたのです。そして、日本と季節が逆のニュージーランドとオーストラリアから輸入したところこれが的中。国産に比べて太い点が気になりましたが、甘みの強いてんが好感され、レストランやホテルからは引っ張りだこ。これをきっかけに、輸入品は太物への人気が高まり、
その一方、国内生産は都市化もあってか次第に縮小していったのです。
※リーキ
原産国は地中海沿岸。古代エジプト時代すでに食用されていました。
日本には明治初年度渡来しました。料理業界では「ポアロ」とも呼ばれて
いますね。葉はにら、ニンニクと同じく扁平。幅4~5cm、長さは60
~80cm。ネギ属としては大型。栽培は根深ねぎの春まき再倍に準じる
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