やっちゃば一代記 実録(15)大木健二伝
やっちゃばの風雲児 大木健二の伝記
モグリ
「健ちゃん、ちょっと組合まで来てくれないか。」
仲買組合の役員から声がかかった。
「見て見ぬふりをしたいところだが、東京府からお達しがあってはそうもいかなくてね。あんた、売参の資格はまだだそうじゃないか。セリに参加できるのは一年半のお勤めが済んでからだってこと知らなかったのかい?。一緒に府の事務所へ頭をさげに行ってくれないか。」
市場開設者の東京府は店子の業者に対し家賃徴収だけではなく、営業許可
取引ルールの取り締りなど、多くの権限を持っているが、創設当初の築地市場は【全国の模範市場】という標語を掲げ、取引ルールの遵守を周知徹底させた。とりわけ先取りの全面禁止に対しては夜半から府の職員がセリ場に張り付き、厳しく監視したものである。
「今日も蝮役人が見張ってやがる。俺たちを目の敵にしているみたいだ。」
「蝮とはよく言ったものだよ、あの役人は喰らいついたら離れない。捕まった日には命取りだ。」先取りの利害がからむ仲買人ほど役人への怨嗟の声は大きかった。が、裏を返せば、このころの役人の仕事ぶりは「公僕の範」にふさわしく実直だったという事だ。
健二はその後も知らぬ顔の半兵衛でモグリを続け、二度目のおとがめを受けた。もはや確信犯である。だが、セリ人は誰よりも高値で、たくさん買っていく健二を陰に陽に庇った。
洋菜売り場のセリ人がたまたま若手に代わった。その日はなぜか他の仲買の手やりばかりが競り落とされていく。健二の手やりは明らかに誰よりも高かった。
「おい、俺の手やりが見えないのか、それとも無視しているのか、どっちか返事をしろい!。」頭に血が上った健二は若いセリ人の胸座をつかみ、セリ台から引き摺り下ろした。
「健ちゃん、すまねえ、あいつが悪いよ。まだセリ人に成り立てで要領がつかめねえようだから、勘弁してやってくれ。」青ざめている若いセリ人を庇うように、古手のセリ人が慌ててとりなした。強面で鳴らしたセリ人が自分よりずっと若い健二のご機嫌をとっているのだ。
二度目の始末書を出した次の日も健二はセリ台の前にいた。その心臓の強さに、仲買人仲間も役人も呆れ果て、そうこうするうち資格取得までの月日が満ちてしまった。晴れて売買参加人と認知されたとき、健二はすでに持倉の屋台骨を支える中堅番頭になっていた。