やっちゃば一代記 実録(32)大木健二伝
やっちゃばの風雲児 大木健二の伝記
マッシュルーム その2
マッシュは俗称、つくり茸または馬糞茸と言われ、文字通り馬糞のついた厩舎の敷き藁を使って人の手で育てられる。菌床はよく醗酵させた敷き藁の上に山からの黒土をかぶせて作るが。菌床の厚さ次第で種菌が定着するかどうかが決まる。さらに種菌を植え付ける際の雑菌の侵入は致命的なのだ。
その頃、マッシュルームの採算ラインは「一寸一貫目」といわれていた。
一寸の厚さの菌床で一坪当たり一貫目(四キロ弱)の収穫量が目安という意味である。これだけの栽培量がないと赤字になるとされるが、実際、菌床の質はなかなか安定しない。いくら神経を使っても雑菌に侵されたかどうかは茸に育ってからでないと分からない。収穫時に傘が黒ずんでいれば失敗なのだ
栽培に悪戦苦闘する一方、取引先からの注文は鰻登りだった。取引先がぼやいていた容器の容量を少なくしたのが奏功したのだ。大木は納め先が使い切る量はどの程度か調べてみて、一箱二百グラムなら、その倍掛けで四百グラム、その上でも六百グラムであり、買う側は量的にも金額的にも買いやすいことが分かった。ニーズを先取りした売り込みに取引先が次々と飛びついてきた。
小田急線から常磐線に乗り換えはしたももの、梱包したマッシュルームを肩に振り分けて運ぶ大木の姿は以前と変わるところはなかった。両手にも荷物を持ったので、切符を口にくわえ改札を抜けた。大木は午前三時から午後十時まで、三度の食事と眠る時間も惜しむ働きづめの日々を送ったが、気持ちは充実していた。
マッシュルームが広く出回る転機となったのは昭和二十五年に代議士の、
河野一郎氏が経営していた日本糧穀という企業がマッシュルームの栽培を引き受けてからである。栃木県宇都宮市の大谷石の廃坑で栽培されたが、ここは温度も湿度も一定していて申し分のない栽培施設だった。同時に軍馬が減って敷き藁の入手が難しくなり、菌床に【コンポスト】という人口堆肥が開発されたことで生産が安定、消費拡大に弾みがついた。コンポストは馬糞の代わりに尿素、硫安、炭酸カルシウム、消石灰、過燐酸など化学肥料を稲わらに伏せ込み、醗酵させたもの。これで失敗が少なくなり、大木の店の実入りも右肩上がりとなっていったのだが、嬉しさの半面、一抹の寂しさも感じた。厩舎の敷き藁で育ったマッシュルームとは明らかに違うのだ。笠も足もいかにもスマートで、大木が自ら栽培した、ずんぐりもっこりの不格好なそれではなかった。大木が惚れ込んだ自然児のたくましさがなくなってしまったのだ。