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やっちゃば一代記 実録(41)大木健二伝

やっちゃばの風雲児 大木健二の伝記
 虎ノ門にホテルオークラの開業
昭和三十七年、五月二十日、虎ノ門にホテルオークラが開業した。小野料理長の食材仕込みの眼は厳しかった。ある日、小野氏は精肉業者が持ってきたひれ肉をしばらく見てから、突然、一抱えもある肉のかたまりを担ぎ上げ、床に放り投げた!
「こんな肉は二度と持ってくるな!」
厨房全体が凍り付くほどの凄みがあった。業者はオロオロしながら散らばった肉をかき集めていた。
 大木も小野氏には何度も叱咤された。
「トマトの色が回っていない」と怒鳴りつけられたときは、築地の店内に七輪を備え、昼夜、炭火をおこして色付けしたものだった。当時のトマトは市場に持ち込まれた時点ではほとんど青いままである。そうでないと日持ちしないからだが、小野氏は「欲しいのは赤くて、硬くて、うまいトマトだ!」と言ってはばからなかった。料理は売るのではなく、「食べてもらうもの」という当たり前のことをどこかに置き忘れたかのように、大木は市場の取引慣行に浸かりきっていた自分を情けなく思った。小野氏の怒りに目から鱗が落ちる思いがしたのである。
 小野氏の自宅は横浜市白楽にあった。奥に引きこもっていた小野氏に大木は玄関口から「トマトの色が回っていなくいて申し訳ありません。申し訳ありません。」と謝り続けた。そんな大木の真摯な気持ちを気の毒に感じたか夫人は「大木さんも大変ですね。」と、眉根を寄せるのだが、奥からやっと
「もう、いいんだよ、いいんだよ。」と小野氏の声が聞こえてきたとき、大木は心底ほっとし、、目頭が熱くなった。

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