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やっちゃば一代記 実録(36)大木健二伝

やっちゃばの風雲児 大木健二の伝記
 畠山国太郎商店
軍納入業者は休戦協定が結ばれるまでの三年間、主に米軍向け食糧調達で急成長するが、その中で大木が競争心をたぎらせていたのが米国海軍に独占的に青果物を納めていた畠山国太郎商店である。当時、船舶関係の野菜納入業者は西の【そごう】と東の【畠山商店】が横綱格とされていたが、その畠山商店の仕入れる量は東京の野菜相場まで左右するほど桁が外れていた。一船団だけでも航空母艦、駆逐艦、護衛艦、補給船など優に六隻から七隻の規模乗員一万人として一航海四十日とすれば、ざっと百二十万食分の野菜を揃えなければならないのだ。それも生鮮食品だから間髪入れず仕入れて積み込まないといけない。船団が横須賀に入港する直前には、根城にしている横浜市場だけでは足らず、東京の市場など周辺からもどっと仕入れるのでニンジンやトマトなどの西洋野菜の価格は跳ね上がったものだ。
 大木は横浜にある畠山商店の冷蔵庫を見に行って驚いた。そこには五キロ入りの箱に入ったセロリが二百箱も保管されていたのだ。セロリのみで一トンの重量だ。これは当時としては大変な量である。長野など新興産地が開拓されてきたといっても終戦後数年はまだ八丈島のセロリの独壇場であり、その八丈島産に畠山商店の買いが入るのだから、相場は激しく動く。
大木たちは相場が動く前に畠山商店の腹の内を探ったものだった。在庫が多ければ弱気になるし、少なければ強気になる。情報合戦では勝ったり負けたりもするが、たいがい大木たちに勝ち目はなかった。
 横須賀基地に近い送水付近は東京湾を行き来する船舶がよく見える。小高い空き地から沖合をじっと見張っていた男が警官の職務質問を受けた。男は青果市場の社員。スパイと疑われた男は畠山の名を出し、すぐに放免された
畠山の社員は船団入港の数日前に知らされていた船団規模が正確かどうか、
確認するため双眼鏡を覗いていたのだ。これが狂うと、冷蔵庫に確保していた野菜に過不足が生じるからだ。大木はこの話を聞いて唸った。
「そこまでやるのか・・・」と。
軍納品は商品検査にいちどパスすると、次からはフリーパスの状態だった。つまり、その質よりも量さえ確保すれば大きな利益につながったのだ。大木が畠山商店の冷蔵庫で見たセロリはどうみても一級品ではなく、それだけ海軍納入にはうま味があったのだが、大木が海軍納入にこだわったのは畠山商店の買い付けで西洋野菜相場がかき乱されていたからだ。
何とか一矢を報いたいと、勇躍トウモロコシの入札に参加、横須賀基地の納入資格を得てトラックにトウモロコシを満載にして横須賀基地に向かった。
許可証を見せて通過しようとしたところ、すんなり通してくれない。基地内は日本ではなく、日本の免許は通用しないというのだ。門前で基地専用トラックに野菜を積み替えさせられた。大木らが汗だくになって積み替え作業をしている傍ら畠山商店の店名の入った車が走り抜けていった。船腹への積み込みも要領を得ず、大木は初日からへとへとになった。
大木は「見切り千両」と、早々に撤退を決めた。
 その畠山商店が静岡産メロンの仕込みで、粒よりのメロンが揃えられず、
小さめのメロンを納めるという失態を犯したときには、大木を含め築地の業者はちょっとだけ溜飲の下がる思いがしたものだった。

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