やっちゃば一代記 実録(34)大木健二伝
やっちゃばの風雲児 大木健二の伝記
動乱需要 その1
一九五〇年六月二十五日、北朝鮮軍が突如として韓国に侵攻、二十八日にはソウルが陥落した。急遽、国連軍十七か国が参戦するが、九月までに連合軍は釜山周辺まで追いつめられる。ここでマッカーサー司令官はソウル近郊の仁川から北朝鮮軍の背後を襲う作戦を展開するが、大木の仕事が最も忙しかったのもこの頃である。
大木はオート三輪で立川基地まで甲州街道を毎日三往復した。冬場は身を切るような寒風が前輪部分から容赦なく吹き込む。足元から胸のあたりまで新聞紙をグルグル巻きにしていたものの、基地に着いた時には唇は青ざめ、歯の根も合わない。一つ覚えの「ハローハロー」でゲートを通過し、すでにえんじんが半開状態の【ロッキードP38】に三輪車を横付けして荷物を積んだ。【ロッキードP38】は胴体が二つある双胴機。空中戦を行う戦闘機だが
差し迫った戦況を受けてか輸送機にも転用されていた。大木は【ロッキードP38】の異様な機体に見とれる暇もなく、米兵と商品のチェックをする。
商品チェックには日本人の通訳が付いてきたが、その声は爆音とプロペラの回転風でかすれかすれにしか聞こえてこない。連日、追い立てられるような納品作業に気を取られていた大木は、通訳が大木の英語音痴をいいことに、しばしば小遣い稼ぎをしていたことに気づかなかった。大木を後ろ盾に借金をしていたらしいのだが、『天網恢恢疎にして漏らさず』で、通訳は不始末がばれてすぐに解雇された。