人生は錯覚資産で決まる。美女であることはその一材料にすぎない
美女美女申し上げておりますが、結局、人生は錯覚資産であり、
それは相対評価でもある。
私が研究している美女というのは
要するにファッションセンスや、表情、メイク、トレンドをどう自分のものにするか、内面の美しさ等にフォーカスしている。
この魅力というものは、戦略的なものというよりは
あり方の問題で、分かる人には分かるよね、というものだ。
噛めば味が染み渡るようなするめのような要素も含む。
だが、世の中は錯覚資産で出来ており、
人の評価は相対的な評価であり、美しさの基準というのは曖昧である。
橋本環奈ちゃんって本当にカワイイ?
炎上覚悟だが、私は橋本環奈ちゃんをカワイイと
思った事がない。
嘘、最初見た時あの千年に一度のアイドルと言われた写真を
見た時はカワイイと思ったが、それっきりだ。
だが、なぜ、パワハラ騒動前は、あんなにも持ち上げらえていたのか。
世の中、錯覚資産だと痛感する。
フォトショップで加工をして、メディアがいかにも美少女という
風に取り上げられれば、国民の認識は
なんだかカワイイ人という印象になるのが不思議だ。
千年に一度の、、、というキャッチコピーが独り歩きし、
また、あらゆる俳優に気に入られ、家具を買ってもらったという逸話、
そして、紅白の司会などに出てたり、前に出る機会が多い(=実力があると思われる)により、あの地位を獲得しているのだ。
(パワハラ報道で一気に崩れたが)
錯覚資産なのだ。
それは相対評価である。
だから、カワイイを追求するのは大事だが、それは一要素に過ぎないのだ。
今というこの瞬間を美しくいる事に喜びを感じるタイプもいるだろうが、
私もそういうタイプなのでああでもない、こうでもない、と
考えるのが好きである。
品性はお金では買えないと申し上げたが、
結局、カワイければ得でしょ世の中、
というのはありますが、それはその通りですが、
それにより得できる事が、10だとしたら、
それを元手に、何かを始めるだとか、何かの錯覚資産を積み上げる
事で、それにより受ける恩恵が、100も1000も上がるわけである。
可愛ければ得をするのは間違いないが、
別に合コンで無双する事でもちやほやされる事は大したことではないのだ。
そんなものよりもはるかに受けれる恩恵は大きくなれる。
カワイイは一要素にすぎないのだ。
私はカワイイを有効活用できている人を尊敬する。
錯覚資産を利用している爆美女たち
例えば、天野一菜さんや、山賀琴子さん等。
天野一菜さんは、上智大学出身で、ミスソフィアを取った後、
大手広告会社(博報堂?)に勤め、インスタグラムでは絶大な支持を誇る。
そして、彼女は上智大学在籍中に、嵐の櫻井翔との熱愛が噂された。
激務の彼女は、将来的にはピラティス教室等を開きたいらしく、
インスタ等のsnsを積極的に活用している。
山賀琴子さんは、青山学院大学出身で、ミス青山グランプリを獲得後、
フラワーマーケット御曹司の男性と婚約。インスタでも絶大な支持を誇る。
間違いなく、2人は美女だ。
だが、上智や青学で、同じような美女は大量にいたはずだ。(青学や上智には当たり前だが、ミスコンに出るような美女がわんさかいるため、かわいい!というよりもミスコン?ああ、アナウンサーでも目指してんの?という見られ方をするらしい。)
だが、そんな中でも、いくら美女でもミスコンに参加しなければ(天野さんは、ファッション等に無頓着な学生だったらしいが、声をかけられたらしく今の容貌へと変化し、まさにシンデレラストーリーでそれもそれですごいが)
今のような立場になっていない。また、ミスコンに出場したものの、何も賞を取っていなかったりしたらそこまでになってるはずだ。
snsを積極的に活用していなければ、このような知名度も得ていない。
美女であるという面と、賢さを兼ねそねているのだ。
ここでいうのは錯覚資産が重要であるという事だ。
この錯覚資産の威力がどれほどスゴイか。
両者ふたりが、上智や青学を出ていなければ、今のような魅力的には映ってないだろう。天野さんが電通や博報堂で勤めておらず、薄給の名前も知らないベンチャーで働いていたら、今のような魅力的な女性としては映ってないだろう
(いくら見た目やファッションが魅力的であっても。)
そう、要するにそういう事なのだ。
人生は錯覚資産をどれほど積み上げられるかなのだ。
そして錯覚資産が多ければ多いほど実力をつけるチャンスをもらえる。
それは、フォロワーや、容姿、肩書、等が、錯覚資産である。
それを数個重ねるだけでそのような魅力的人として多くの人に映り、
あらゆるチャンスを得やすくなり、また任せられたりする事も増え、
実力も付けられるのである。(やりたい事に近づけるのだ)
その錯覚資産は一つでは足りないのだ。
2つ、3ついる。そして、それは反復され目に入る機会が多いという事が条件だ。そのような条件下のもと、錯覚資産は威力をなすのである。
だから、鏡を見つづけてああでもないこうでもない、アイラインがどうこうはいいのだが、
それと並行して、自分の錯覚資産をどう積み上げるかを考えるのが超重要なのだ。
それは学歴、容姿、資格、etc色々だ。
だが、それを重ねることが、いずれ自分の本当にやりたいと思う事をやる事の手助けになる可能性がある。
やみくもに錯覚資産を重ねるのではなく、錯覚資産を使った先にある未来を分かった上で、それを重ねればいつか大きな力となるだろう。
要するに、人も商品も同じなのだ。
あの人も魅力的よね、という
それは、表参道で歩いていてフっと、前から歩いてきた女の人に見惚れて
ふわああとついてきたくなる、というのも分かるけど、
その魅力を私はこれまで美女研究として語ってきたが、
それも超超超大好きなのだが、
そこで、魅力的と思われるのが人生の生きがいや喜び(私は別に人の目を気にしているわけではなくて、自分を着飾ったり表現する事が好きなのだ)
でいいのかという話だ。
そんな事よりも、もっと自分で何かに向かって達成して何かを手にした錯覚資産を積み上げた上での自信や達成感や喜び等も大事だと思うのだ。
見栄をはるとかいうのでもない。
その錯覚資産がある事がいかに重要か。という話だ。
例えば、シャネルの商品って何が何でも、
シャネルだよねとなる。
シャネルのコットンでさえ、シャネルと書かれていればああ、シャネルよね、となる。
それと同じだ。
その錯覚資産が容姿だけだとしたら薄い。
例えば、宇垣美里ちゃんが今は、、、となっているのがなぜか。
それは
元TBSアナウンサーという肩書があるが
他にアナウンサーで台頭してきた人々と比べられて影がうすいよねとなっているだけなのだ。
そう、相対評価なのだ。これって結構酷で無意識のうちに人は比べているのである。
よく女社会で、さえない男の子を好きと言っていたという噂を流したりする人いるじゃないですか(女子あるある)
それって、さえない男を好きになる人ですよ、と周りに広める事で
その人の株を下げているのだ。
私は彼女の行いが非常に賢いなと思った。
彼女は、世の中は錯覚資産で、相対評価であるという事を知っている、そして、その威力を知っているのだ。
自分が目立つために、邪魔な人の株や魅力度を下げたわけだ。
錯覚資産やブランドと同義なのか。
最近私は錯覚資産の本を読んだんだが、超超超目からうろこで面白い!
特に社会人の人は読むのおすすめ。
錯覚資産というのは、反復して繰り返して、目に映ったり入らなければならない。だから、テレビCMではうるさい程に同じことを流すし、
コスメは、毎回特に何の代わりも無いが、リニューアルをするのだ、
それは人々に私はここにいるよというのをアピールするためである。
一度これは良い商品という認識になったとしても、他社商品が台頭してくるかもしれない。社会においても生き抜く事はこれと似たものがあるのだ。
繰り返すが、アイラインが一ミリもズレないで成功して引けた事による
周りの評価よりも、
錯覚資産を積み上げる事の方が遥かにデカい。
錯覚資産を増やすと言う事の大切さ、
自分がどう見られたいかは演出できるのだ、
それは、他人に人から言われる誉め言葉を参照に、
私はこういう側面を持つのかと認識した上で、
じゃあそれがある上でどうなりたい?という事を自問自答するのだ。
別にそれは狭い世界の中の話ではない。。sns上での話もそうだ。
そうやって錯覚資産を重ねると見える世界も変わるのではないかという話だ。
私は人に見られるために取り繕うとかそういうのが嫌いだった。
何べんも言っているが、マナー本とかこうするとモテる!みたいな本が
大嫌いだったから。
でも、錯覚資産の本を読んでその重要性をめちゃめちゃ感じたのだ。
美女研究は、分かる人には分かる、いわば、趣深いよね、
の要因を分析していたが、
その美女である事は確かに有利なのだ。
あの人素敵ね、と。
だが、それをそれで終わらせるのはあまりにもったいない。
アイラインが一ミリもミスらずに引けた事による恩恵と、
錯覚資産を持ってる事による恩恵や享受では、前者を遥かに上回る。
じゃあ私には一体なんの錯覚資産を持っているのか?という話である。
ここにあえて、自慢のように錯覚資産を上げ連ねるつもりもない。
まあ自分にも少なからず、1つくらいはあるだろう。
それをどうしていくの?って話。
商品のブランディングやマーケと
自分をよく見せる技術って本当に似ている。
①反復が重要であるという事
インフルエンサーへの配賦、PR投稿。何度も行なわれるリニューアル
(snsのストーリー投稿を頻繁にする。評価者の目に留まるようなファッションや姿勢やスタイルで視界に入る等)
②錯覚資産をいくつも積み上げているという事
アットコスメ賞受賞、商品開発者で有名人がいるという事、PRでの今旬のモデルの起用。
(学歴、容姿、その人の雰囲気、数値的な実績、インスタのフォロワー、
読者モデルをやってる等)
③一貫性がある事
この3点なのだ。(詳しくは錯覚資産について調べてほしい)
ここでの美女研究の研究材料はそのほんの一部に過ぎない。
だが、この一部がどれほど重要かは、美容の重要性がどれほど占めているかが、
女として生きていれば嫌という程実感していて、言うまでもないだろう。
別に私はセレブ妻になりたいから結婚できればそれでいいんですという人には
当てはまらないかもしれない。
見た目を磨いて、婚活でもすればよいと思うが、
この錯覚資産を積み上げる事による恩恵ははるかに高く大きなものである。
そしてそれは大きな自信にもなる。
なぜならこの世に綺麗な女はごまんといるからだ。
そんな人と表面的なもので競ったところでしょうがないし競うものでもない。
ただ綺麗な女は次から次へと表れる、それに対してその錯覚資産を積み上げる事は、綺麗な女をより綺麗な女に、そして、将来的なキャッシュフローを拡大させ、自分の内面からの光輝く自信になるのだ。
今日のアイメイク、アイライン一ミリ失敗しても、それでいいい。
鏡とにらめっこしても何も変わらない。
デヴィ夫人がおっしゃった。
この世で必要なのは、美か知性か。
それは知性だと。知性があれば美も補填できる。
美しくいるのにも知性は必要だからだ。
センスというもので補えるが、なんといっても、
世の中は相対評価であり、それを分かっている人はどの世界でもうまくやるのだろう。
人が人を評価したり見たりするのって本当にその見られ方が分かれば、
物を売ったり何かを販売したりに役立つのかもしれない。
それほど重要なものなのが。
これをおべっかというか、図々しい女に私はなりたくない。
品性があって控えめな女でいたい。
こういう錯覚資産とか持ち出すあたり、
その対極を言っている風にも思えるが、
それってめちゃめちゃ重要でみんなやってます。
みんな言わないだけでちゃんとやってる。