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受動態の「バランス」。能動態の「バランス」。

言葉の意味の捉え方が変わった話。

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「自信」「創作」「挑戦」「勇気」「ユーモア」「共生」「安全」…

あるワークショップで渡されたのはたくさんの言葉が書かれた紙。
この中で今の自分にとって大切な物、大事にしている言葉は何ですか。
と問われる。

私が当時選んだのは、確か「成長」「自信」「居場所」

他にも気になるワードはあった。
一方で、自分が絶対に選ばなかったものもある。

その一つが「バランス」だった。

様々なポジティブワードがある中で、「バランス」はどうにも自分の中に落ちてこなかった。

当時の私はイケイケドンドン真っ盛りで何かに挑戦する自分でいたかった。
ちょっと人と違う自分でいたい、みたいな。ある意味尖りたかったのかもしれない。
某CMの「丸くなるな。星になれ」が私の目的となっていた。(あれは星になることが目的ではなく、結果星になった大人がかっこいいのだが)

私にとって「バランス」は波風を立てない安定を求める人が取るものだと、安定を求めた人間なんておもしろくもなんともない、と。超過激思想を持っていた。
受動態の「バランス」。
何か自分の気持ちを持って攻めの姿勢で常に何かに挑戦する人が私の中での尊敬対象で、その想いが高じすぎていた。

だからそのワークで「バランス」を選んだ人を、顔には出さないものの(もちろん言葉にも出してないですけど)、「え、バランス選んじゃうんだ…結構保守な人だったのか…」と思っていた。

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最近は「バランス」がとても大事だと思っている。

自分がやりたいことと相手がやりたいこと
やりたいこととやらなきゃいけないこと
理想と現実
仕事とプライベート
都会と田舎

何もかも白と黒、0と100、みたいにぱっきりと分かれるわけじゃない。
どれもグラデーションで、そのグラデーションの中で自分がどこにいたいか、何を望むか考え続ける、他者と対話し続けることが「バランス」。
安易な安定を願う言葉ではなく、自分の心地よさを知るもの。

今はそう思ってる。

あのワークで「バランス」を選んだ人は、自分にとって適切なことは何か、を考えている人だったのかもしれない。

そしてその「バランス」は一朝一夕で発見できるものではなく、何かに取り組むプロセスで見えることなのだろう。

私が尖った思想を持っていたことも、「バランス」の価値に気づくために必要だった。
最初から適切なバランスを取ることを目的にしなくていい。
時には極端をとることで自分のちょうどいい濃度を知ればいい。
能動態の「バランス」だ。

今の状態が自分にとっていいものなのか考え続けること。それが「今の私」にとっての「バランス」。