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「誰も悪くない」から世界は残酷なんだ

「誰も悪くない」は事実。だれも自分が悪いと思ってやってることなんてない。
人の良いところ、悪いところは、それを見てる人の主観でしかない。
だから、「悪い人じゃないんだけどね」っていう言葉は事実なんだけど、それじゃなにも進まない。
悪くないことは大前提、そのうえで自分はどう思う?を考えるのが大事。

何かを選ぶってことは何かを捨ててるってことで。捨てる覚悟がない人には何も選べない。
で、私はその「捨てる選択肢」を選んだ自分が人からどう思われるのかが怖い。

「自分の好きなようにする」には、言語化が必要で、他の人にも協力してもらわないといけない。
自分のやりたいことをどうしても押し通す我の強さ、人から何を言われたって大丈夫なメンタル、自分を信じられることが条件。

押し通す強さがいる。その強さを求めるうちに、自分がもともと何をしたかったとか、オリジンを忘れちゃうと思うんです。
それは悪、というか、迷走してるな、って感じ。

ただもとはと言えば人間なんて皆やりたいことなんて違うし、自分も他人も思うようになるわけないし、生きにくいのがデフォルトなんだと思う。
だからできることは、生きにくさをちゃんと自分の言葉で表明すること、こういうことが生きにくいんだって自分で認識すること。

生きにくさを克服しなくたっていい。できないこともあるし。逃げたらいい。それはポジティブな逃げじゃないかな。変化を選んだ、ともいえる。
自分だけが苦しいんじゃなくて、皆それぞれに生きにくくて。
それを表明するだけでも、この人はこんな生きにくさがあるんだ、って知れる。
もしかしたら何か生まれるかもしれない。生まれないかもしれない。
でも人生の意味づけをするのはいつも自分だから、ストーリーの根拠にはなれるかもしれないね。

自分の意見を持った時に、自分にとっては違う立場の人、ネガティブな感情を持つ人も絶対に出てくる。
ただそれは、そのネガティブを簡単に放出して良いのか、ってところ。
ネガティブ感情に共感してほしいことはある。
それなら全く関係ない人に言うべきだね。
共通項のある人には話しちゃだめだ。
他の人までネガティブに引っ張る必要なし。
それか相手に直接文句を言った方がいい。

誰かのレンズを通った情報なんて、往々にして本人の意図とかけ離れてるんだから。

ベルトルトと、アルミンと、ローと、トガヒミコと、お茶子ちゃんと、最近のあれこれについて思ったこと。