自分を受け入れる旅:M男子の恋愛と性愛の探求(往復書簡)その4
「私の内に宿るMの子へ」
読ませてもらいました。
なかなか興味深い話題が多いですね。
まず、貴方は自分が女の子であればM性は認められていたと書いています。
そして、それは幸福だったはずとも書いてます。
貴方の言いたいことはわかる気がします。
でも、私たちは違う性別について言及するのはやめましょう。
なぜかと言いますと、私たち自身が自分たちの性別について、勝手なことを言われて腹を立てているからです。
だからこそ、自分たちの話だけにとどめた方がいいと思います。
貴方ならわかってくれることだと思います。
この話題はここで終わりにしましょう。
貴方からの問いかけに答えないといけませんね。
貴方は私に、貴方のことをどう思っているか聞いていらっしゃる。
私は私の中に宿った、貴方をどう理解すればいいか最初困惑していました。
貴方は身体が感じことを素直に悦んでいるのに、私はというと、そのことに対しても困惑していました。
あの時、私たちの友人が言ったあのセリフ。
私はあのセリフをとても重く受け止めました。
感じる身体は、男の子にとってあってはならない身体だとそう心に留めたのです。
でも貴方は素直に悦んでいる。
私はそれが羨ましい気持ちもあり、辛い気持ちでもありました。
それは、その先には幸福がないと思っていたからです。
私は男の子です。
社会が求める男の子像と絶え間なく、対峙しています。
私はその男の子像になんとか合致させようとしています。
でも貴方もわかっているように、私の身体も心もそこに叛逆します。
この前、私は貴方に「自分を受け入れた方がいい」と言っていたのに、逆転していますね。
私自身が、自分を受け入れていない。
そう言えるかもしれません。
私は、身体が感じることを素直に受け入れられないのです。
でも、身体は正直です。
私がどう思っているかなんて、関係なく感じている。
貴方は、貴方の誕生日を身体が感じることをはっきりと自覚したあの日だと仰っている。
それはつまり、貴方の存在は感じる身体なくして成立しなかったということなのでしょうか?
貴方に、この問いかけをしてこの返信を終えます。