自分を受け入れる旅:M男子の恋愛と性愛の探求(往復書簡)その6
私の内に宿るMの子へ
私の質問に答えていただき、ありがとうございます。
この往復書簡も気づけば3通目になりますね。
私がなぜ貴方の存在に困惑しているか、貴方なりの解釈を手紙に書いてくれました。
貴方がおっしゃる通り、私は貴方が羨ましいのかもしれません。
男の子でありながら、貴方は男の子になろうとしていませんね。
むしろ、貴方は自分が男の子でありながら、男の子から外れていることを喜んでいる。
私も貴方のように、社会が求める男の子らしさを無視すれば、私らしい男の子らしさで生きていけるのかもしれませんね。
話を進めましょう。
私たちはまだまだこの往復書簡で、男の子であることMの子であることを哲学していかないといけないのです。
この往復書簡の目的を今一度、思い出しましょう。
それは、男の子であることMの子であることで、恋愛や性愛で困難な面があること、この困難さの原因はどのようなものなのか。
私たちは、それをテーマにして往復書簡をしているのです。
ここで考えないといけないことは、恋愛と性愛、そのどちらが私たちにとってより困難なのかということなのです。
貴方からの返信は、次の手紙で受け取ることになると思います。
その前に、私の考えを述べさせていただきます。
恋愛と性愛どちらが困難か。
それはそう容易に答えの出るものではないでしょう。
この二つには、それぞれに困難さがつきまとっていますので。
それを念頭においた上で、答えるなら恋愛の方に困難さがあると思います。
なぜなら性愛は恋愛の先にあるステージで、私たちはまず、恋愛につまずいてる。
なので、困難なのは恋愛だと言えるでしょう。
次に恋愛の困難さを生み出している原因は何か、そのことを考えないといけないです。
これは貴方には酷な話だと思いますが、あえて言えば貴方の存在が恋愛において不利な要素になっている。
私にはそう見えます。
男性は恋愛市場において、積極性や主体性を求められます。
選ばれるためには、それを身につけていないとなかなか難しいのです。
そして、貴方の性質がまさにその逆です。
相手に主導権を握られてもいいというその消極性、相手のオモチャになってもいいとさえ思っているその客体性。
それらは、恋愛市場において不利な要素でしかないのです。
男の子は男の子としての役割を果たさなければ、恋愛市場ではその価値を認められない。
そのことを痛感してるから、私は貴方の存在を認められないのです。
貴方は性愛の充足を求めている。
ならば、なおのこと貴方は恋愛市場で戦う際は、自分の存在を隠した方がいいのです。
恋愛というステージで勝ち上がらないと、性愛のステージには行けないのですから……。