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自分を受け入れる旅:男の子✖️Mの子にとって性愛はなぜ難しいか?(往復書簡)その11


自分自身の中にいる男の子へ

梅雨は憂鬱かと聞かれたら、梅雨が憂鬱というよりも、日常が憂鬱って答えるよ。
さて君の手紙を読んだよ。
まず君の提案だけど、僕としては君の提案を受け入れようと思う。
この往復書簡は、ゆっくりと哲学するためのものだから、どうしても弱い思うんだよね。
だから、他の作品を出すのは大賛成だよ。

じゃあここからは、君の問いかけに答えるね。
君は僕らの性愛の困難性を僕に求めてる。
僕が男の子の中にいるために、性愛を得ることができない。
君はそう主張してるね。

男の子は感じる性じゃなくて、感じさせる性。
それなのに、僕は感じてしまう。
だから僕が君に宿っていることで、君は性愛を得られないと言いたいわけだ。
でも、僕の存在を消したところで、感じる身体は残るわけだよね。

君はその感じる身体を無視して、君の言うところの感じさせる性としての役割を演じられるの?
僕がいなくなれば、演じられると思ってるならそれは甘いと思う。
感じる身体はあまりにも快感を知ってしまっているから。

それに僕の存在を消すことはそもそも不可能だよ。
なぜかっていうと身体が残ってるから。
僕と身体は不可分に存在する。
そのことは、誰よりも君が理解しているはずだと思うけど。

ここでもまた僕らは平行線をたどりそうだね。
男の子としての役割かその逸脱かっていう平行線。

だけど君の言いたいこともわかってるつもりだよ。
性愛を得られないのは、僕の存在があるからか。僕は多くの女性のニーズと合わない欲望を持っているから。
だから君は男の子が本来持つべき役割に帰るべきだと主張するわけだよね。

でもね。
それは恋愛の時と同じ結果になると思うんだ。
結局そんなふうに偽ったって男の子でMの子であることは隠せないよ。
それにやっぱりそんなふうに隠して性愛を手にしてもそれは紛い物の性愛じゃないかな。

君はどうして社会の求める男の子になろうとするの?
それにこだわる理由が知りたい。

今日はここまでにするね。
返信待ってます。

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