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初のお別れ

 こんばんは、乙訓野添です。ETFって買った途端に値下がりするの、なんでなんでしょうね。まぁ、配当金を楽しみにしてます。

 人生初のモテ期も落ち着きを見せ、自称うつ病のキツネさんとは、順調をお付き合いを続けていました。その間にも、いろいろあったのですが、まぁ、その話しは冗長になるので割愛します。
 付き合ってそろそろ1年になろうかという頃、自分は徐々にキツネさんとの結婚を意識しつつあったのですが、なんと会社を不当解雇されてしまいました。しかもそのやり口が頭にくるものだったので、労働組合に入って、徹底的に争議をやることに。おいおいおい、俺の人生どうなるんだ?と不安を抱えつつも、一旦、虎の背に乗った以上は、行き着くところまで途中下車する事は出来ません。
 そんなこんなで、いつ終わるともしれない争議を闘う事、一年後、キツネさんがいきなり古都の方に単身で引っ越してしまいました。そして引っ越した後に別れを切り出されました。こっちは必死で引き止めましたが、キツネさんはもう引っ越した後だし、こっちは争議があって追い掛けれも出来ないしで、話し合いは平行線。明確に別れた格好にならないまま、離れた格好になりました。

 こういう時、争議やってるのは、猛烈なハンデです。まず、自分から始めた闘いを途中放棄する事は出来ません。既に多くの人からカンパもらって、実質的には食わせて貰っているからです。そして、社会的にみたら無職の失業者な訳で、そもそも恋愛とか結婚のリングに立てない立場です。向こうにしてみたら、そんな奴よりも他のを探した方が人生的には利口、という事になるのでしょう。
 争議は結局3年続き、やっとこ終える事が出来ました。その間も、自分はキツネさんへの思慕の念を抱き続けていました。むしろ、それが争議を闘う上での支えになっていた、といっても過言ではありません。一日も早く争議に勝って、キツネさんを迎えに行くんだ、その気持ちが原動力になっていたのです。

 さて、争議が終わった時、キツネさんも古都から戻ってきていました。一体どうして古都にいき、またどうして古都から戻ってきたのか、そのあたりの事情は知りません。聞きもしなかったからです。
 争議が終わった事を、キツネさんとその親御さん(にも紹介されていたから)に報告に行きました。これでヨリが戻るかなぁ、と思っていました。ところがその日の夜、原因はよく分かりませんが、キツネさんのお姉さんが、キツネさんのお母さんとケンカになり、キツネさんとお母さんがメソメソといつまでも泣いてる様を見て、自分の中で何かが弾ける様な感じがしました。

あ、俺、もう帰ろう

 始発が動き出す1時間ほど前でしたが(つまり、夜中じゅう、メソメソを見さされた)、「すいません、自分、これでおいとまします」と、引き止められるのも断って、キツネさん宅を後にしました。今から考えれば、こんな事で短気を起こさなければ良かったのでしょうが、3年間争議を辛抱していて、もう辛抱きかない精神状態になっていたのでしょう。あるいは、争議中に逃げられた腹いせを、どっかでしたかったのかもしれません。夜明けの早い夏の空を見上げながら、なぜか晴れ晴れした気分でした。

 しかし、元が非モテです。次の彼女がそうそう補充されない事はよく分かっているし、実際、出会いもありません。自分から振った格好をしておきながら、その後、ちまちまと連絡を取り、どうにか復縁しようと画策してました。しかし、女性は一旦別れたとなった後は、前の恋愛は上書き保存です。連絡する度に、新しい彼氏の愚痴を聞かされ、しかもそれが明らかに自分より劣ってる男である事が分かったりと、やきもきしながら、数年を過ごす事になりました。今から考えたら、無駄な事をしたものです

 今回のnoteはここまで。もっと書きたい事があったのですが、走り書きで満足していまいました。その程度の記憶になったんですね。いいねやコメント頂けると励みになります。最後まで有難うございました。


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