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ニコライ2世皇后アレクサンドラ・フョードロウナの生涯【シリーズ2】



息子・アレクセイの血友病、アレクサンドラの苦悩

1904年8月12日、アレクサンドラにとっては待ちに待った男児が誕生した日。結婚して10年、これまで4人立て続けに女子であり、後継者が生まれず、ロシアの宮廷からも冷たい視点で見られたアレクサンドラだったが、結婚して10年で皇后として後継ぎを生む役目を果たした。

ニコライ2世の日記には、「私にとっても忘れることもできない素晴らしい日だった。厳しい試練の時期にこのような慰めもたらしてくれた神にどう感謝すればよいのかわからない。言葉にないほど嬉しい。」と日記に書いている。ロシア皇帝になれるのは男子のみであり、立て続けに4人とも女子であり、なかなか後継者が生まれないという宮廷や国民からのプレッシャーに悩まされたニコライ2世とアレクサンドラにすれば、男児の誕生はこれまでにないほどの喜びだった。新生児の名前は、ロマノフ朝の2代ツァーリーで「温厚帝」と称されるアレクセイ・ミハイロヴィチに因んで、「アレクセイ」と名付けられた。

しかし、2人の最大の喜びはやがてどん底に突き落とされる。9月になるとアレクセイの臍から出血が止まらなくなる。アレクセイは、母親のアレクサンドラ通じて、ヴィクトリア女王から血友病の遺伝子を受け継いでいた。

血友病とは、英国女王のヴィクトリア女王はじめとする欧州王室では恐ろしい病であった。遺伝子の変異によって引き起こされ、女性が受け継ぎ、男性のみに発症する病気であった。

アレクサンドラと息子のアレクセイ
アレクセイ

男児の誕生を長いごと待ち望み、祈り続けてきただけに、アレクセイが血友病に罹っていることがわかった時のアレクサンドラの驚きは深刻だった。

アレクサンドラは、むしばまれるような自責の念に囚われていた。血友病は、アレクサンドラの一族に見られた病であり(アレクサンドラの姉でプロイセン王室に嫁いだイレーネや、いとこでスペイン王室に嫁いだビクトリア・ユージェニーも血友病の保因者で、彼女の息子たちにもそれを受け継いだ)彼女は息子にそれを受け継がせてしまったという自責にさいなやまされた。未来のロシア皇帝でありながらも、血友病を患っていて、長生きできる可能性も低い息子のことは、アレクサンドラのの残りの人生では、一生の心配の種であった。そのとき以来、彼女は血友病患者の母親に運命づけられている太陽のない世界に住むようになった。

夫妻は、息子・アレクセイの血友病を公開しないことに決めた。公開すると、ロシア専制君主体制が揺るがされるという懸念からだった。かつて帝位継承者だったニコライ2世の弟・ゲオルギーも病弱だったが、生まれた皇太子も病弱だとすれば、ロマノフ家が体弱く、不幸な家系だと思われるのは必至であったから。アレクセイの血友病を知るのは、アレクサンドラの姉・エラとセルゲイ大公夫妻と、黒い姉妹と呼ばれるミッツイア大公妃夫妻とアナスタシア大公妃夫妻のみであった。しかし、アレクセイの血友病を隠し続けることは皇帝一家と国民の溝を深めることになった。それが皇帝一家の根拠のない悪意や誤解を生じ、そのことがロシア皇室に対する尊敬を低下させた。

母親としてアレクサンドラにとって過酷だったのは、痛みに耐えながらも、母親に助け求めて泣き叫ぶ息子のことを何もしてあげられなかったこと。そしてアレクサンドラにとって神経質だったのはいつ起こるか分からない血友病。例えばアレクセイが一時的元気に遊んでいても、次の瞬間には何かの怪我によって血友病の出血によって瀕死状態になるかもしれない。そこでアレクサンドラの対策は、二人の水兵にアレクセイを付けて転ぶ前に捕まえさせることであった。

アレクセイが重篤状態であるときもアレクサンドラは一睡もせず、ベッドの枕もとで息子 見守り、それが終わるとすぐベッドや長椅子に倒れこんでしまった。それが数週間も続いた。とにかく子供が眠っている以外は緊張の連続であり、アレクサンドラにとってはストレスフルのような日々で、戦場神経症のようになった。兵士は戦場から退き休養 とることはできたが、血友病の子供の母親には退くことが出来ず、戦闘は永遠に続き、いたるところ戦場であった。

このような長年わたる苦悩が、アレクサンドラ自身の健康も害することになってしまった。美しかった容姿は急に老け込み、白髪も増えて、不眠、偏頭痛、不安などがしつこくついてまわり、自律神経も乱れてしまった。心臓の病気も見つかってしまった。アレクサンドラは後年はベッドで過ごす時間が長くなり、私室の寝椅子やベランダで横わたって過ごしていた。食事もあまり摂らず、体重も減ることがなかった。

ベッドに横わたっているアレクサンドラ


ベッドに横わたりながら、刺繍をしているアレクサンドラ

アレクセイの血友病は当時の医学では治すのはほぼ不可能であり、医師もお手上げ状況だった。そのような状況は、アレクサンドラを絶望の淵に突き落とした。人間からは何も期待できなくなったアレクサンドラは、神にすべての望みを託した。ますます怪しげなオカルトな宗教にめのりこみ、神と名乗る怪しげな人と交流するようになった。

アレクセイの血友病を医学の力で治すことが出来ないという事実を受け入れたアレクサンドラは、ますます孤独になりたがった。自分たちを助けることも出来ず理解もしてくれないような正常な世界からは離れて、安全な自分の家庭だけに閉じこもる。自分にとって居心地の良い環境では悲しみを隠す必要はなく、安全である。これが、ツァースコエ・セローという小さな世界のアレクサンドラの姿であった。

ロシア人は一般に同情心が強く、子供にも温かい愛情を代入持ち、他人の病気にも深い理解を持つ民族であった。しかし血友病で苦しむアレクセイとその母のアレクサンドラには同情しなかった、それはなぜか。

つまりロシア国民は前述に書いてあった通り、アレクセイの血友病を知らなかったからである。アレクセイの血友病は国家秘密であり、厳重に保たれてたから。医師や側近もこの秘密は洩らさないように厳格に求められていた。例えばアレクセイの家庭教師でもあってもアレクセイの病気は長い間正確に知られていなかった。

アレクセイが血友病であるという事実を隠し通すことは、皇帝と国民との間に溝をさらに深め、皇帝一家が悪意のある噂の攻撃にさらされ、また皇后に対する国民の尊敬を低下し、皇后を通じて皇室に対する尊敬が傷つけられたからである。アレクセイの血友病は決して外に漏れなかったため、ロシア国民はアレクサンドラとラスプーチンの関係性を理解できなかったし、皇后の真の姿を知ることも出来なかった。皇后が耐えている過酷な試練のことも知らなかったので、彼女があまり姿を現わさないため、ロシアやロシア人を嫌っているのと誤解した。時々国民の前に姿を現わしても無口で、一見冷たく傲慢で無関心に見えた。アレクサンドラは元々人気のある皇后ではなかったので、彼女の評判は確実に低下していった。第一次世界大戦中の国民の皇后に対する全ての不満が、彼女はドイツ人、冷酷さ、ラスプーチンの帰依が混然一体、憎悪の対象になった。


ラスプーチンが登場


ラスプーチン
ラスプーチンはアレクサンドラにとっては、唯一信頼できる心の友のような存在であった。

アレクサンドラの生涯を語るうえで避けられない人物が、グリゴリー・ラスプーチンという男性。この男性は自称・祈祷僧と名乗り、アレクセイの血友病を治癒したことで、皇帝夫妻からの絶大な信頼を勝ち取り、それ以降皇帝夫妻からの目を置かれる存在になって、国政にも介入することで、結果的にロシア帝国を崩壊を早めた。

ラスプーチンは1869年にジベリア村の貧しい家に生まれた。子供の頃は、学校にも行かず、読み書きができなかった。(1897年のロシア政府の国政調査によると、村人の半数が読み書きできなかった)

ラスプーチンは1887年にプラスゴヴィア・フョードロウナ・ドゥブロヴィナと結婚して、7人の子供に恵まれるのも成人したのは3人だけだった。

1892年に「修行僧になると」言って、家族を置いて家を出て村を出奔した。やがて修行僧になり、サンクトペテルブルクを出たラスプーチンは、人々に病気を治療をして、信者を増やし、「神の人」として称される。小国・モンテネグロ公国から嫁ぎ、イタリア王妃エレナの姉であり、ロシア帝室の一員であったアナスタシア大公妃とミッツイア大公妃姉妹から深い寵愛を受けるようになり、その流れによって、1905年11月1日に大公妃姉妹の仲介によってニコライ2世とアレクサンドラ夫妻に拝謁した。

ラスプーチンに紹介したアナスタシア大公妃とミッツイア大公妃といえば夫とともに神秘主義に傾倒しており、宮廷では「黒い家族」とあだ名されていた。アナスタシア大公妃とミッツイア大公妃は、アレクサンドラにとっては数少ない親しい皇族であり、アレクセイの血友病を知っていた数少ない皇族でもあった。

ミッツイア大公妃(1866-1951)
下記のアナスタシア大公妃の姉。1889年にニコライ2世の従叔父であるピョートル・
ニコラエヴィチ大公と結婚した。


アナスタシア大公妃(1868-1935)
上記のミッツイア大公妃の妹。1889年に最初の夫と結婚するのもその後離婚し、
ミッツイア大公妃の夫・ピョートル・ニコラエヴィチの兄であるニコライ・ニコラエヴィチ
と再婚した。

1907年、ラスプーチンは宮殿に呼ばれ、危篤状態になっているアレクセイの血友病を治癒した。これまで危篤状態であったアレクセイは嘘のように回復して元気になった。医師でないラスプーチンがどのようにアレクセイの血友病を治したのかは不明であるが、歴史家によるとラスプーチンの治療法はを1899年以降に流通したアスピリン投与による鎮痛治癒だと推測されている。

ラスプーチンは、アレクセイの血友病を治癒したことで、皇帝夫妻からの絶大な信頼を勝ち取った。
特にアレクサンドラは、ラスプーチンのことを「息子を救ってくれた命の恩人」として感謝し、それ以降ラスプーチンに対して盲目になり、それがロシア帝国を揺るがしてしまう。 

シリーズ3に続く

ラスプーチンとアレクサンドラ、そして彼女の子どもたち
(オリガ、タチアナ、マリア、アナスタシア、アレクセイ)


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