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多様な選択肢に振り回されながら、考える大切さ。
海洋散骨は、広く知れ渡るようになって、最近では船に乗れない方用に、代行して散骨してくれる、そんな特集を観た。
お骨を預けて、粉末状にし、海に撒く。
お骨が粉砕されている様子は、とても事務的で近代的な作業だった。
当たり前だと思っていたけれど、お骨の意味って何なのだろう?と、改めて考え始めてしまった。
我が家は、長男がいるのだが、仏壇も要らないと言い張ってしまう人。
でも、お盆には律儀に墓参りには来ている。
私が墓仕舞いをする約束で、近場に住んでいるから管理はしているものの、せっかく父が残せた【墓】なので、もう少し面倒を見たいと思ってはいる。
だとしても、だんだん【墓】という概念が消えつつあり、お骨の意味も個人の解釈が違い過ぎると感じて、選択肢が増える程に悩みが出てくる。
♫私のお墓の前で、泣かないで下さい〜♫
という歌をいつも思い出すのだが、お墓には居ないらしいが、じゃ、仏壇か?思い出の場所か?亡くなった場所か?
きっと何処にも居ないのだと思いながらも、拠り所が欲しいのが人間なのだと…。
それに、霊的な能力を持つ人達からすると、魂の存在であったり、お墓参りは大事な事だと言われたりする。
昔は、当たり前としていた事が変わっていく昨今が、良くも悪くも悩みの種になっていく。
それに、自分だっていつどうなるか?なんて予測は出来ないのだがら、早めに墓仕舞いはしておくべきなのかもしれない。
個人的には、市の永代供養の合併墓地に入れる予定だ。
生まれ育った地であれば、その方が落ち着くのではないか?と思ったからだ。
そもそも、後を継ぐという概念も無くなってきている。
私の旦那は自分の親と縁を切った。
同じ市内には居るのだが、4年位、本当に連絡すら取り合わない。
(片付けなきゃいけない問題は色々あるのだが…)
それでも、義妹が居て、その息子が2人も居るから、どちらかが面倒を見る事になるのだと思う。
そちらは、まぁ立派なお墓があるし、私はそこには入りたいとも思ってない。
縁を切った時点で、行く事も無くなったと思っている。
そう考えると、旦那も私も親不孝者だし、ご先祖様にも何もしていない事にはなる。
だからと言って、私は別としても、旦那は何も感じていないらしい。
家だってそうだ。
散歩をしていると、本当に空家が目立つ。
ネットで中古住宅販売のページを見ると、かなりの量の家が売りに出ている。
にも関わらず、新たに分譲された区画には新しい家が軒を連ねる。
田舎の一軒家。
土地柄を知らなければ、手を出す事も無いだろうし、中古は嫌だと言う人も多い。
管理されず荒れ果てて行くだろう田舎の住宅地は、これからどうなるのか…。
ただ、私も息子は好きな所に行けば良いと思っている。
こんな場所では、就職はできても、いい給料を貰える場所ではない。
親の面倒を見させるのも忍びない。
こういう価値観が、墓も家も面倒な物として残ってしまうのかと思うと、ある一定の年齢になったら、国が管理する団地みたいな場所に移って、余生を過ごす。みたいな制度が欲しいと思ってしまう。
かと言って、現実はそんな事したら反発する人の方が多そうだから、あり得ないし、結局は自己責任。
準備だけはしておいて、いつか、に備えておく位しか出来ないのが現実。
負の遺産だけは、残さない。のが、後世への義務なのかもしれない。