おじいちゃんと孫 (産まれるまでのお話)
父はおおらかで優しい人だ。
反面、頑固で融通が効かない。
敵と味方が同数存在するタイプの人。
高校は1日で中退。
会社も使われるのが嫌で、個人で起業。
しかし、バブルが弾けて我が家も弾けた。
母はアルコール依存症で嘔吐過食症。
隠れて飲んでいても、アルコールが入った嘔吐の悪臭が漂う家。
私の性格はネジ曲がり、母の機嫌を取る係りとして自我を消していった。
毎日、泣きながら疲れて眠った。
小学校の頃から、時々食事を受け付けなくなったり、小6でパニック症。不安症を発症。
学校に行くのも苦しかったが、誰にも理解もされず、手に画鋲を刺しながら痛みでごまかしながら生きてきた。
父は優しかったが、私が優しくされると母は私にヤキモチをやく。そして、私への態度が益々悪くなる。
だから、父にも頼る事を我慢するようになっていった。
それでも、何とか高校を卒業まで乗り越えられたのは、自分でも不思議ではあった。
旦那と出会ったのは、高校3年の時。
年上だったからか、車でどこかに連れて行ってもらったりした。
現実を忘れて楽しいと思える時間を過ごせていた。
結婚したのは、20歳を過ぎてから。
とても明るく愉快な人だったから、楽しい家庭が作れると思った。
しかし、私は子供が苦手で、子供を愛せるか不安だった。
妊娠したと分かった時も不安だった。たが、子宮外妊娠だと分かって、まだ形も無い赤ちゃんは手術で摘出されてしまった。
私は普通に子供を持つことすら許されないのか…。通り過ぎる、新生児を抱えた母親達を見て、涙が出た。
そして1年後。
また妊娠が判明した。
また出血があって、泣きながら病院に駆け込んだ。
今回はちゃんと子宮に丸い影があった。
私は1年前の子が諦めずに戻って来てくれたと思った。
そして無事、息子が誕生した。
私の実家はその時点で母が肝硬変で入退院を繰り返していた事もあって、義父母と同居しながら、産後の世話をしてもらえる事になっていた。
子供を愛せるか自信が無かった私は、目の前に居る子供がこんなにも可愛いと感じたこ事が、信じられなかった。
それと同時に、父も母も、何故こんなにも私をないがしろにできたのか?腹が立ってしまった。
私の子を抱かないで!とまで思った。
しかし、子供には罪はない。愛されるのなら、誰からも愛されるべきだと思ったのだ。
そして、すくすくと成長していく息子とじいちゃんが仲良くなるのは、15年後のお話。