おじちゃんと孫(家に帰りたい思い)
入院して1か月。
肺炎は治っていたが、肺がんの破裂した方の肺が肺気腫になっていて、背中からの管が外せない状態が続いていた。
仕事はラインでやりとりしながら、色々な事を工場を間借りしている同業者の会長に頼んでくれていた。
直接的な話は、私が専務としていて、働いてくれていたパートさんは移籍という形にして、私だけが父の会社に留まり、残務処理をひたすらやっていた。
銀行。
市役所。
職安。
労働安全基準局。
税務署。
分からない事は、ある程度相談しながら、何とかなりそうな状態に持っていった。
ラインで画像通話をしながら、仕事の指示ややり方を引き継ぐ人に教えている時もあった。
「随分良くなってきたんじゃないの?」
会話が弾んでいるのを見て、安心する一方で、肺がんだとはほとんどの人には伝えてなかった。
自分だけが何か背負っていて、苦しくなった。
週に1回の洗濯物も、欠かさず届けた。
父の家に持って帰って洗濯。その間にいつ帰って来ても良いように、簡単に掃除をして、洗濯を干して帰る。
待ってるぞ!気合いを入れた。
すると、父から「先生から今後の説明があるから家族を呼んで欲しいと言われた。」と言う。
私と兄が急遽病院へ向かった。
個室に案内されて、私と兄と父。そして担当医に看護師さん。
深刻な雰囲気だった。
肺気腫(肺に穴が空いている)を完治させる為の治療を進めて、それがうまくいけば癌の治療が出来る。という事。
肺気腫が治らないと、退院は難しい事。
肺気腫自体もどこにどの程度穴があるか把握出来てない状態で、特殊な治療をするという事。
肺気腫の治療をして、癌の治療をしなければ
余命2から3ヶ月
私は最近は余命宣告をしないと思っていた。それだけに、驚いたが、ショックなのは私ではなく父本人であるに違いない。
一旦、自分は落ち着く事にした。
もちろん、また少し小さくなった父の体がまた少し小さくなった気がした。
「抗がん剤はやりません。ただ、どうしても1回家に帰りたいんです。孫と約束したんです。」
何度も父はそう言った。
担当医は「無理です。」としか言わなかった。
家に帰って、息子にどんな話だったの?と聞かれた。
余命宣告された。とは言えなかった。
治療が進まないと、数日だけでも退院とか外出とかは難しいって言われたよ。
それだけしか言えなかった。
「俺は信じてるから。じいちゃんにちゃんと会って、一緒に買い物行くって約束したから。」
それ以上は何も言えなかった。
じいちゃんも同じ気持ちなんだよ。でもね。
そう心の中で、何かを握り潰した。