![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/157546794/rectangle_large_type_2_ab32684bda11e47f9f7a9f04eef00359.png?width=1200)
おじいちゃんと孫(2人のおじいちゃん)
私は産休のみを取って会社にに復帰した。
それは、義父母が「私達が面倒見るから、働けるうちに働きなさい!」と強く推された事と、お金の苦労をさせたくないという思いからだった。
同居といっても別棟を建てて、共有スペースのような状態ではあったが、義姉にも幼子がいた事もあって、昼は義家族が見てくれているという状態だった。
私も嫁に来たのだから、実家には頼らず、その代わり義父母の面倒は最後までみる覚悟だった。
ただ、上手くいっていたのは最初だけ。
義父と義母の喧嘩が増えた。
義姉が嫌味を言うようになっていった。
保育園に預けようか…。悩んでいるうちに体調を崩す事が増えた。
息子が2歳になる頃、母が亡くなった。
苦しめられた存在が居なくなったにも関わらず、私は何故か苦しかった。
今思えば、やはり、愛されなかった事を理解出来なかったからかもしれない。
そしてパニック症が悪化して、会社に行けなくなった。病院で鬱状態と言われ、会社を辞める事にした。
回復までには時間が掛かった。
その間に義父母に息子の面倒を見てもらったりするのだが、義父は特にイライラして生活をしている事が分かった。
自分のやりたい事を邪魔されるのが嫌で、子供が騒いでいると怒っている。他にもあるが、言っている事とやっている事が違うという、昭和の頑固オヤジだった。
それでも、跡継ぎとしての存在は大きく、何かと近所を連れて歩き、可愛がってくれてはいた。
かたや、私の父はたまに遊びにくるだけだったが、とにかく懐いていた。
息子は活発なタイプでは無かったから、トランプだったり簡単な遊びをいつも楽しそうにやっていた。
父にとっても初孫であって、可愛い存在。しかも母が亡くなって寂しさもあったのだろう。
一緒に遊びたい気持ちもあったようだが、義家に遠慮してたまにしか来れないと言っていた。
私は、母の死と同時に、父に対しても不信感の様なものが出てきてしまっていた。
それでも、息子が楽しそうに遊んでいる姿を見ると、それを止めたりしようとは思えなかった。