優しい存在と世界
私は子供の頃から大人が大嫌いだった。
親もそう。
教師もそう。
誰も私の話なんて聞いてくれなかった。
「助けて」
そんな言葉さえ、言えなかった。
大人になってもそう。
優しくしてくる男は、大抵体を求めてくる。
あるいは、お金を貸してとすがってくる。
女は?
仲良くしていたかと思えば、陰口を言っている。
ようやく出会えた新しい家族。
「私達を自分の親と思っていいからね。」
私は信じてみた。
賭けてみた。
けれど、結局は本音と建前の世界だった。
私は誰も信じられなくなっていた。
人間が嫌いだ。
心が動かなくなっていった。
しかし、父の職場で働き出した時、平均年齢65歳の3人の男性達と仕事をする事になった。
話をすれば、昔の武勇伝。
あちこち痛いと常に愚痴。
でも、とても気を使って、私に優しく接してくれた。
時には私のミスをさり気なくガバーしてくれた。
悪意など感じない世界だった。
数年後、また1人65歳が加わった。
物静かで、穏やかで、仕事が綺麗だった。
愚痴も言わない。
「助けて」と言えば、何も言わず手を貸してくれる人だった。
この人からたくさん教わろうと思った。
「また、明日。お先です。」
普通の1日が終わった。
その日の午後、父から電話が来た。
午後、仕事場で倒れて、既に息が止まっていて。
救急車で運ばれたけど、亡くなった。と。
大動脈解離。
私は電話口で大泣きした。
それまで、母親や親戚、身近な人が亡くなった。
けれど、こんなに悲しいと思うことは無かった。
恋愛感情とか、友情とか、そういうものじゃない。
ただ、優しい世界を教えてくれた人だった。
「また、明日って約束したのに。何で?」
涙が止まらなかった。
私はその人から優しさと、感情を知らない間に貰っていたのだ。
優しくされる事、信じられる存在である事。
どこかに行っていた心が、戻ってきていた。
何故、優しい人ばかり先に逝ってしまうのだろう。
だから私は優しい人間でありたいと思った。
あんな人になりたいと思った。
殺伐としたこの世界だけど、優しい世界があると信じている。