おじいちゃんと孫(弱っていく体)
父と息子は京都に行った。
車で7から8時間掛かる距離だ。
何事も起きないでくれ!と願い送り出した。
途中途中で、写真が送られてくる。
無事到着。
交代で運転しながら、まずは前半終了。
この頃には父は既に、少し歩くだけで息が苦しそうになっていた。
それでも、次から来なくても大丈夫な様に現地の人達に指導をしていた。
息子は昼間は観光し、父の仕事が終わると、観光がてら食事をした。
「バス観光の予約したから、ごめんママのクレカで払わせて!」
息子からそんな連絡がきた。
ところがそれは、昼と夜を取り違えていたらしく、断念してホテルに戻ったが、それはそれでまた笑い話となった。
仕事が無事終わり、また交代で運転。
ヘトヘトで帰ってきた2人だが、たくさんのお土産と笑い話が飛び交った。
無事で良かった。
すると、翌週は父の検査入院だ。
肺の癌と思われる物の組織を取って、病理検査に出すのだ。
私は、父が不在の間に仕事をこなさなければならなかった。
その後の事も考えて、経理の方も手を付けなければならなかった。
「お父さんに万が一何かあったら、私が閉めるから安心して。」
これは、私が仕事を始めた頃にした父との約束だった。
自営業の大変さは身にしみている。しかも、父の長年の信頼関係で成り立っている仕事。後を継ぐ事を本人も望んていなかったし、私も無理だと分かりきっていた。
検査入院は自家用車不可だった為、電車で行くと言って駅まで送って、駅まで迎えに行った。
「はぁ、疲れた。」
憔悴しきった顔をしたのは、肺の検査が思いのほか苦しいものだった事と、父の体力が想像を越えて落ちていっていたからだ。
それから数日して、日曜日だった。
息子が私の所に駆け込んできた。
「じいちゃんが酸素買ってきてって。あと、咳止めとか。」
と言うのだった。
何事かと急いで買い物をし、家に向かう。
そこには寝転びながら咳き込む父の姿があった。部屋の空気は異様な匂いがした。
「ありがとう。」
そう言って、酸素の缶を吸う。
「病院行く?大丈夫なの?」
そう言うと。
「大丈夫だ。落ち着いてきたから。」
と言う。
「明日も同じ状態だったら、病院行くからね!分かった?」
頑固オヤジを納得させるのは難しい。大丈夫だと言い張る時点で動かないのは分かっている。
そして翌日。
たまたま息子が学校が休みだった。
電話をすると観念したのか、病院に行くと言った。
息子に運転を頼み、昨日より苦しそうな父を何とか車に乗せ、観念したのか入院の準備もしていたから荷物を詰め込み、病院へ走った。
それがその年のゴールデンウィークの始まりだった。