おじいちゃんと孫(2ヶ月ぶりの帰宅)
余命宣告を受けた父。
抗がん剤はやらないと言った。
そもそも肺気胸の治療に時間が掛かった。
毎日の様に、事務仕事や引き継ぎの話をしたかったが、治療に専念して欲しくて、私から連絡する事はあまりしなかった。
肺気胸は肺に穴が空いている状態。父の場合は手の拳程のがんの塊が破裂し、あちこちにダメージがある状態。
1度で終るかと思っていた処置が、2度、3度と繰り返し行われていた。
「今回もダメかもしれない。」
回を追う事に、明らかに元気が無くなってあいった。
「まだ誕生日まで時間があるから、諦めないでみたら?」
私には、息子の誕生日に何とか会うだけでも良いから、それを気力に変えてもらうしか掛ける言葉が見つからなかった。
私も私で、仕事を閉める準備と万が一に備えて相談をしたり、今思うと、たくさんの宿題を抱えていた。
そして、息子の誕生日の1週間とちょっと前。急に父から電話が来た。
「来週月曜日、退院出来るから迎えに来てくれ!」
やや興奮状態の父は、細かい説明をちゃんとしてくれなかった。
どうやら、看護師さん達の手助けもあって、肺気胸は治りきってないけれど、携帯型の装置を取り寄せてくれるから、それがあれば1週間だけ退院できる事になったのだというのだ。
ただ、迎えに行くと、担当医からは厳しい言葉をかけられた。
「この状態で一時的でも退院させるのは危険です。帰りの途中に出血があったりしたら、即救急車呼んで下さい。管も付いてますので、少しでもおかしかったら救急車を呼んで下さい。2日に1回は通院してもらうのが条件です。守れますか?」
かなり強い口調に、背後で立ち会う看護師さんが優しくフォローしてくれた。
そして、背中から出ている管の消毒とテープの固定方法を事細かく指導してくれた。
その間も看護師は「良かったね。お孫さんのお誕生日に会えるだよね?」
そう言いながら、次々と看護師さんが声を掛けてくる。
「良かっね。楽しんでおいで。まってるからね。」
その一方で、周囲の他の看護師さんがバタバタと動いている。
情報をあまりもらえてなかったせいか、これからどうなるのか予想も付かないまま退院となる。
「それじゃ、2人でお家に伺います。地元の訪問看護の方達に来てもらう約束もしてますので、焦らずゆっくり帰って下さいね。」
なんと、片道1時間以上かかる父の家に看護師さんが2人も来る?しかも、訪問看護の方も来る?
これは、かなり入念な計画を看護師さんや医者さん達は考えてくれていたのか?
そんな事が一瞬頭をよぎり、まずは無事家に帰る!と、気合いを入れた。
小さなボロいアパート暮らし。
私の家に来ても良いと言ったが、自分の家に帰りたいと言い張った。
…ちゃんと掃除をしておけば良かった。と後悔しながら、何が起きるか分からない、久しぶりの父との再開を喜ぶ暇もなく。
命がけのドライブが始まった。
それは、余命宣告をされてから約1ヶ月後の事だった。