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いつもそばに

「Happy Birthday🎂」
今日は、亡き母の🍰お誕生日です
生きていれば、90歳を超えています

私は結婚した翌年に、長女を出産したので
母は、その頃からずっと「おばあちゃん」として暮らしていました
私も「お母さん」と呼ぶよりも「おばあちゃん」一辺倒でした

父も同じで、その頃から「おじいちゃん」の生活です
長女と次女は3歳違いなので
私が次女を出産した頃、長女自身も、手が大変かかる年頃で
まだまだ目が離せません
でも出産後は、どうしても赤ちゃんに「母の手」は取られがち
なので良く父は、長女を連れて出掛けてくれたり
赤ちゃんに独占されがちな「母の膝」の代わりに
抱っこしていてくれました

ただどちらも「孫と2人になる楽しさ」は、格別だったようで
うるさい私や、どうしても遠慮する主人がいない「独占状態」は
買いたい物を買ってやれたり、内緒で食べさせてあげたり
「秘密の約束」だらけの時間だったと思います 笑

そしておばあちゃんの役目は、生活にも根付いていて
私が働くようになると、次女の習い事の送迎や
片方を病院に連れて行く時の留守番役・・・

そして何より「私が不安な時に、不安を打ち明ける相手」でした

私と両親、私が独身を終えるまで
3人は「よく喋る家族」だったと思います
くだらない話も、真面目な話も「美味しいオツマミ」で
特に母には、友達のように話していました

「おじいちゃん、おばあちゃん」として、生きていた長い間を振り返ると
少しも、親孝行が出来ていない私ですが
孫2人と時間を過ごせたこと、それだけは唯一
「幸せな時間」を、共に出来たかな・・・と思います

ふたりが亡くなってから一度だけ、心配をかけた事があります
空の上に居るであろう両親に向かって、弱音を吐きました
歩き慣れた家までの道を帰りながら
良く晴れた日の、高い雲が並ぶ空でした
何だかとても悲しくなって
自分が「自分以外の運命」に、揺さぶられているように思えて
「どうしたらいいの・・・」と。
今思えば、確かに大きな岐路であったと思います
誰の運命であっても、背負えば自分の運命ですから
覚悟するしかありません。

不思議なことに、その時は
「お父さん、お母さん」と、呼びかけていた自分でした

その時はきっと私自身も
娘たちの親ではなく、両親の子供として
泣き言を呟いたのかも知れません

ただ、その時の空は抜けるように高く、澄み切っていて

娘たちを産んだ、8月の蒼い空と同じ
とても美しい空でした

いつか必ず私も、あの空の向こうへ行く事と思います
その時は、娘ふたりが
そっと見上げてくれるような、親でありたいと、今は思うばかりです



ギャラリーからお借りしたのは
素敵な「hoho」さんの作品です🍎ありがとうございました







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