心が折れるとき
入院23日目
病棟の引っ越しが済んだ。
不安要素が多すぎて、なんだか気持ちが落ち着かない。
消灯時間になる前から、カーテンを隔てた左隣のベッドから、大きなイビキが聞こえている。ダブルベッドで、横に寝ている人がイビキをかいているような体感だ。
しかも、まったく途切れることなく一定のリズム、音量で聞こえてくる。
イビキが止まったかな、と思うと「ヴォエッヴォエ」と嘔気のような、咳込みのような声。
これはキツイ夜になるな。
術後の足の痛みに、夜通し耐えられるか不安だった自分を思い出しても、現状の方がキツイ。そうハッキリ言える。
足の痛みは一晩経ったら軽減したし、痛みはずっとは続かない。
この隣人のイビキは、毎晩、いや、昼寝の時間を含めると、かなり長時間になる。
そう考えたら、とてつもない絶望感が襲って来た。
隣人にとっては、寝ている間のことで、意図してイビキをかいている訳ではないのも分かってはいる。が、そうは言っても耐え難い。
他の同室の方は、このイビキに耐えられているのだろうか?皆さんこのイビキが、聞こえていないのだろうか?
イヤホンをして音楽を聴いても、その上を越えてイビキが耳に届く。もうどうしようもない。為す術がない。
この苦痛を1人では耐えられず、家族LINEに現状を吐露する。
同情の返信はあれど、それ以上、家族もどうすることもできないのはわかってる。ただ私の苦痛を知って欲しかっただけ。
あー、早く家に帰りたい。そんな気持ちが強くなる。
朝方、うとうとしかけた気がするが、ほとんど眠れなかった。
朝のバイタルチェックの時間。
相変わらず隣からイビキが聞こえている。
看護師さんには、眠れなかったことを伝えた。理由は、今聞こえている隣人のイビキであることも添えた。
朝食時。
看護部長さんが現れた。各病室に、朝の挨拶回りをしているようだった。私の所にも来て、
「おはようございます。はじめまして、看護部長です。何か困ったことなどありましたら、お伝えくださいね。」
と声をかけてくれた。
さっき、夜勤の看護師さんにも伝えたが、看護部長さんにも伝えておこうと思い、眠れなかった事情を説明した。毎晩この状態は耐えられる自信がないとも伝えた。
「困っていらっしゃることはわかりました。心に留めておきますね。」
そう言って病室を去っていった。
困り事を伝えられたことは良かったと思う反面、面倒くさいクレーマーみたいに思われたかもしれないなとも感じて、なんだか切なくなった。
今思うと、もうこの時点でメンタルがかなりおかしくなっていたのだと思う。
誰も知らない病棟に、突然移動になった不安と、松葉杖の1人歩行がまだ許されておらず、この場を離れたくても離れられない不自由さ。
さらに追い打ちで、夜に眠れない苦痛。
9時過ぎ。
今度は日勤の看護師さんがやってきた。
「昨晩は眠れましたか?」
と問いかけられただけなのに、目から涙が溢れていた。自分の意思とは関係なく、勝手に涙がこぼれ落ちていく。
なんで涙が出てるんだ?うわぁ、まずい。おばさんが泣いてるなんて引かれちゃうよ・・・と頭の中では客観的な自分がいる。
看護師さんは驚いた様子だったが、私の話を最後まで聞いたあと、取り急ぎ車椅子をベッドの側に置いてくれた。自由に移動して、気分転換できるように配慮してくれたのだ。
それからしばらくすると知らせが入る。午前中に退院する方がいて、そこに移動させてもらえそうだとのこと。
思いがけない早い対応への驚きと、そしてその配慮への感謝と、お手数をかけてしまう申し訳なさが混在して、複雑な心境だった。
10時
リハビリ17回目
患部のマッサージと、筋トレを行ったあと、松葉杖で外に出て、歩行練習をした。
駐車場のアスファルトの上を歩く。3週間ぶりの外出だ。
日差しが強く暑かったが、なんて気持ちがいいのだろう。
滅入っている気持ちが少し軽くなっていた。
昼食後、病室を移動した。
6人部屋の窓際だった。
窓があり、太陽の光を感じるられることのありがたみを、こんなにも感じたことはない。
景色が見えるのと見えないのとでは、雲泥の差があることを、今回、身を持って経験した。
こんなにも精神的に追い詰められてしまったことに、自分でも驚いている。
入院してから3週間の中で、小さなストレスが少しずつ蓄積されて、最後の不眠がトドメとなり、心はあっさりと折れてしまった。
この日の夜は、朝までグッスリ眠ることができた。
窓のある、安眠できる環境に来られたことで、今は心が癒されてきている。
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