和飲通信9月号vol.294
清々しい秋の風を感じるようになりました。お変わりございませんか。
じつは先月、一泊で手術を受けました。人生初の手術でドキドキでしたが、お客様でもある先生のおかげであっという間に無事終了。すぐ仕事にも復帰できました。やはり健康第一。皆様もお身体大切にお過ごしくださいませ。
さて、先月号の続きです。
余市の柿崎商店の海鮮丼でお腹を満たして、いよいよ『ドメーヌ・イチ』さんへ向かいました。柿崎商店からイチさんまでは車で10分ほど。レンタカーで移動して家族とはここで一旦お別れです。
ドメーヌ・イチさんでは今回の旅の発起人である『サリーチェ』のオーナー小柳さん、ワイン通のプロカメラマン、ワイン通のプロのマリンバ奏者とそのお嬢様(CAさんでソムリエ)とパートナー、という異業種ながら大のワイン好き5名の皆様と合流しました。
待ち合わせの時間になるとドメーヌ・イチのオーナー上田一郎さんが畑作業から戻ってきてくれました。さっそく蔵内に入れていただき、蔵内の説明、北海道でのブドウ栽培、ワイン醸造の難しさ、気候変動の影響など詳しく教えていただきました。特に勉強になったのはブドウの樹齢についてです。
私が以前、ドイツで経験したことや、その後勉強してきたなかでは「樹齢が長い方が良いブドウができ、結果良いワインが造れる」ということでした。実際ヨーロッパに限らず世界中のワイナリーのワインは、樹齢が長いものほど高品質で高額です。フランスではラベルに「V.V」(Vieille Vigneヴィエイユ ヴィーニュ)の表示があると、明確な樹齢の決まりはないものの、数十年以上の樹齢の樹のブドウであることを指しています。
ところが上田さんの話の中では「樹齢はせいぜい10年で植え替えてしまいます」とのこと。なんて勿体無いことを・・・と思いましたのでその疑問を尋ねてみました。すると上田さんは「余市に限らず、雪が多く降る場所では、雪の重みで枝や樹が折れてしまうことがあるので、ツルを巻きつける針金や添木を外して、樹を寝かせて越冬するんです。春になると起こして、冬になるとまた寝かせる。これを繰り返すので根っこが痛んでしまって枯れてしまうから植え替えが必要なのです」とのこと。自分の無知を恥じるとともに、あらためて日本でもワイン造りはこんなに大変なことなのかと、思い知りました。続きはまた来月。
社長 石橋朋和
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台風一過、再び厳しい暑さが戻ってきましたが、お変わりございませんでしょうか。それにしましても先日の台風は通り過ぎるのに時間がかかりましたね。当初の予想では九州の方には来ないと言われていましたが、進路がだんだんと九州寄りになり、とうとう九州を西から東に横断することになりました。久留米は幸いなことに被害は免れたようですが、鹿児島、宮崎、大分そして四国や東海、関東の方では雨、風による被害がかなり発生したようで、被害に合われた皆様には心よりお見舞い申し上げます。以前は9月になればいくらか涼しくなり秋の気配を感じていましたが、最近はまったくそんな気配は感じられませんね。今年は秋を飛び越えて、いきなり冬といった状況になるのではないでしょうか。「日本の四季は素晴らしい」と外国人観光客の方が以前言われていたのを聞いたことがありますが、このままでは日本の四季は無くなってしまうのではないでしょうか。今こそ世界が一つになって温暖化対策を実行しなければ、将来地球には人が住めなくなるかもしれませんね。
そしてもう一つ気になるのが地震です。先だっての日向灘地震の際には、南海トラフ大地震の警戒期間が設けられ、何事もなく一週間経過しましたが、一週間過ぎたから大丈夫というわけではなく、世間の受忍限度を考えて暫定的に決められたものにすぎなかったとのことです。「南海トラフ大地震は今日や明日ではなく、近いうちに必ずやってくる」と専門家の方々が言われています。東日本大震災から13年が過ぎましたが、あの時の記憶が脳裏に焼き付いているうちに対策を立てておく必要がありますね。対象地域にお住いの方々ばかりでなく、日本中の人たちが「大地震が近いうちにやってくる」という共通認識を持ち続ける必要がありそうですね。大変な世の中になってきました。災害が起きないことを願うばかりです。
さて、また私事で恐縮ですが、今回は私の健康法についてお話しさせて頂きます。私は今から30年ほど前には体重が85キロくらいありました。その頃受けた健康診断では中性脂肪が多いとか脂肪肝と言われたことを覚えています。体重を減らさなければと思って始めたのがジョギングでしたが、5キロほどのジョギングでは体重は全く変わりませんでした。
そこで、次に始めたのが玄米菜食です。私のドイツワインの師匠で現在日本ドイツワイン協会の名誉会長をされている小柳先生からのアドバイスで始めたのですが、2か月ほどで体重が約10キロも減りました。肉も魚も食べず、ひたすら玄米とみそ汁、煮た野菜などしか食べませんでしたので痩せるのは当たり前かもしれませんが、本当に驚きました。
玄米は最低でも100回噛まなければいけないと言われていましたので、忠実に実行した結果、体重を極端に減らすことができたのです。噛むことがいかに大事かということをこの時初めて知りました。また体重が減ると体が軽くなりますのでジョギングも5キロから10キロくらいに距離が延び、そのことも体重が減る原因になったのではないでしょうか。
それから30年ほど玄米は食べ続けていますが、お正月や冠婚葬祭そして同窓会などの特別な日(ハレの日)には提供されたお料理を何でも美味しく頂いています。もちろん美味しいワインとともに…。普通の日(ケの日)は家内が作ってくれる野菜中心のお料理を玄米とともに頂いています。(ワインもグラス二杯くらい頂いています)そんな訳で、現在の私の体重は67キロくらいを保っています。また、ジョギングは今でも週に3日くらいの頻度で継続しています。つまり、私が健康でいられるのは、玄米食とジョギングのお陰だと思っています。そしてもう一つ言えば、あまり悩まず、深く考えたりしない能天気な性格だからではないでしょうか。これからも正しく食べ飲み、軽い運動を行い、くよくよしない、を私の基本方針として生きていこうと思っているところです。「元気で長生き」皆様もくれぐれもお体に気を付けてお過ごしください。
石橋広一
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「ワインのお話112回」
今回はドメーヌ ウチダの内田理恵さんからのコラムをお届けさせて頂きます。
【2024年畑の状況】
とてもお久しぶりのコラムとなってしまいました。
日本への一時帰国からフランスへ戻ってきてから今までを一言で表すと「もう大変」というところに尽きます。コラムを書く間もないまま、毎日を過ごしていました。
まずは2024年のメドックですが、冬の間絶え間なく雨は降り続き、まるまる3年分の降雨量があったという話です。冬はだいたいお天気のはっきりしないメドックですが、こんなにも降り続けるのは異常で、森の木も地盤がゆるくなったためにあちこちで倒れ道路をふさぎ電線をなぎ倒し、少しの窪地は大きな池になり、ぶどう畑にももちろん水のはける間もないまま降り続ける雨に普段は冬の間に進めるべき土壌の仕事もできないまま皆がやきもきしていました。それだけでなくドメーヌウチダではトラブルもあったのですがまた次の機会に…。
やっと雨があがったと思えたのは5月頭で、雨によって抑え込まれていたぶどうの成長はタガが外れたように急発進し、大急ぎで作業をしてもその爆発的な成長についていくために四六時中畑にいることになりました。それでも例年とは比べ物にならない寒さです。去年は5月の頭と言えばもう暑くて海に飛び込みたくなる陽気でしたが、今年の朝晩はまだ吐く息が白く昼間も上着が必要で、地元の人も「40年以上住んでるけど、こんなに寒い春は初めてよ」と驚くほどでした。6月に入り、やっと晴れ間が多くなり、日中の気温も30度くらいまでは上がるようになりました。ワイン生産者の間では「今年は厳しいね…でも夏に暑くなってくれたらなんとかなるかな」と難しい顔で話し合ってはいますが、もちろん希望を持ちつつ最善を尽くした仕事をしています。
【セレナーデ】
さて、そんな冬の間にも進めていた仕事のひとつが2回に分けてボトル詰めしたワインの出荷作業です。今回のヴィンテージのうち、SERENADE(セレナーデ)という白ワインは、通常の白ワインの造り方とは異なる少し特殊なワインです。赤ワインは収穫したぶどうを一次発酵が終わるまでタンクに入れ、発酵の終わったぶどうをプレスして液体を二次発酵させますが、白ワインは収穫したぶどうをすぐさまプレスし、液体のみを発酵させるという
のが通常の醸造方法です。
今回、セレナーデに関してはオレンジワインの造り方を取り入れ、収穫したぶどうをプレスせずタンクに入れ発酵の途中にプレスにかけました。(オレンジワインはタンクで発酵を終わらせてプレスするので完全にオレンジワインというわけではありません)ですから、通常の白ワインよりも色合いが深く、どっしりとした味わいです。そして、セレナーデという名前ですが、以前にもコラムに書いた亡くなった友人のレジナルドがつけた名前です。
いつも新しいキュヴェの名前は内田と二人で「世界中で通じる」「短い」「性質をとらえた」ものを考えるのですが、まだポイヤックに住んでいたころ、お向かいだったレジナルドがやってきて超どや顔で「新しいキュヴェの名前を考えてきたぞ」自信満々で「セレナーデってどうだ」と。内田と私は大爆笑です。だって、そのいかつい風体でセレナーデって!泣く子もさらに泣くようなごつい風貌でセレナーデって!!と涙が出るほど大笑いです。
「ほんとにレジナルドって実は乙女チックなんやなぁ」とヒィヒィ笑いながらからかっていると「ちぇ、めっちゃいいと思ったんだけどな」とすねてラムをあおるレジナルド。「ごめんごめん!でもいつか使うかも!」そんな思い出がありましたので、今回、大好きなレジナルドに感謝を込めてその名前を付けたというわけです。セレナーデも無濾過の澱がらみの白ワインですから、夜霧の中で窓の下、恋人に愛をうたう。そんな情景とも重ねたという後付けの理由もあります。ぜひ味わってみてください。
【内田の原点】
いつも夏には「畑…タイヘン…」しか書いてない気がするので、今回のコラムは私の聞いた内田のフランスにおける黎明期のことをほんの少し綴ってみようかと思います。
すでに在仏歴は20年を超え、今でこそ醸造家として注目されている内田ですが、だれでもそうであるように、内田にも何もわからない時期がありました。一応、渡仏前に日本で少しはフランス語を勉強していた内田ですが、いきなり実戦で通用するものでもなく、ボルドーでアパートを借りに不動産屋さんへ行ったときには「今日から入りたいのか?」の「今日」という単語さえ聞き取れず、最終的に話が通じずに仕方なくしばらくホテル住まいをしていたといいます。
それから語学を学ぶために「外国人相手でも話をしてくれる」という作戦でワイナリー訪問を始め、そのうちにワインの魅力にとりつかれ、見つけたのがリストラックメドックにある「ドメーヌ・オーブルガス」。まだまだボルドーワインと言えば農薬をたっぷり使う生産性重視の当時において、すでに自然派ワインを造っていた先駆けともいえる小さなワイナリーです。従業員を募集してもいないのにボルドー市内から50ccのバイクに乗って訪問して「ここで働かせてください」と門をたたき、家族が「そんな得体のしれない外国人…」と心配するなか受け入れてくれ、自宅の一部屋をも寝泊りのために貸してくれたその人が、内田のワイン造りの指針を決定づけた当主のムッシュ・ビスパリでした。
少しはフランス語を話せるようにはなったものの、まだ十分に意思疎通ができない内田にも、ムッシュ・ビスパリは畑仕事を教えてくれて、当然のように家族の食卓の一席を与え、週に2、3度はアントルコートのバーベキュー、羊の膝肉などのメドック料理を食べるので旧式の家具のような大型冷蔵庫には常に大きな塊肉があり、食事の後には庭で得意のトランペットの演奏を満天の星空の下、聴かせてくれたそうです。 内田が今も愛するメドックの根底がそこにありました。
途中からは家族のみんなともすっかり打ち解け、たった3か月の滞在だったにも関わらず親戚の一人のような扱いになったとか。残念ながらムッシュ・ビスパリご本人は2015年にすでに亡くなっているのですが、彼の娘さん家族が我が家から車で30分ほどのところに住んでいて、20年以上経った今でも食事に招いてくれたり招いたり、困ったことがあれば相談したりとしょっちゅう顔を合わせる関係が続いています。
さらに、当時8歳だったムッシュ・ビスパリの孫娘さんは、なんと今ではパリの移民局の責任あるポストについていて、私たちのような外国人の滞在許可を出すかどうかを決める仕事をしています。その昔畑に来ては「ママーっ!オサムがさぼってるー!!」と言いつけてた小さな子が…と内田が本人に言うと「そんなこと言ってたー?」と笑いますが、そんな彼女も一児の母です。たまにパリから帰省してきて会うときは抱っこした子供に「ほら、トントン(叔父さん)のオサムよー。」と教えています。事あるごとに今でも「オーブルガスの親父は…」と思い出を話す内田は、ワイン造りのスピリッツを確かにムッシュ・ビスパリから引き継いでいて、特に収穫が近づき、鹿が畑のぶどうを食べに来るとムッシュ・ビスパリがつぶやいていたことと同じことをつぶやきます。「鹿も馬鹿じゃない。うちの畑のぶどうが他より美味しいことを知っている」