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血は争えない(勝手に私の履歴書2)
1980年、生まれた日は祖父の二十三回忌だった。
出身は東京都杉並の阿佐ヶ谷。金属恵比須は時に「中央線文化のバンド」といわれることもあるが、仮にそうであれば純血の「中央線文化のバンド」である。
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いわゆる「音楽一家」ではなかったが、「音楽好き一家」。商社勤めのサラリーマンの父と、元商社で英語の講師の母はレコードをよく聞いていた。ピンク・フロイド『アニマルズ』、キング・クリムゾン『新世代への掲示』、『ウェストサイド物語』のサウンドトラックなど。
なお、楽器は母が学生時代に購入したヤマハのクラシック・ギターが1本のみ。フォーク世代を引きずる典型的な家庭だった。
父方の祖父は戦争で体を壊し、戦後間もなく父の幼少期に亡くなっているため詳しいことはわからない。おそらく中部地方出身と思われる。ある時期、大阪の天王寺で坊主の真似事をして稼いでいたという。
その妻である祖母は東京出身。ロシア革命の前年に生まれ100歳以上生きた。戦後、闇市でバッグを売って稼いだお金で子供を養っていたらしい。そのお金で阿佐ヶ谷の土地を買い、下宿を始めた。平屋ばかりに聳え立つ2階建住居で当時「ビルヂング」と形容されたのも時代を感じる。今となっては古びた実家だ。
とにかくハイカラな人で、蓄音機もテレビも1950年代には食費を削って導入していたらしい。父はSP盤でクラシックなどを聞いていたそうだ。そういえば小学校時代、祖母とジャズとダンスについて話したことがある。イエス『海洋地形学の物語』を買ったばかりの頃、「儀式」を聞いていたら祖母が「踊れそうな音楽だね」といって昔を振り返っていた。
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母方は大手水産会社の漁師の家。祖父は宮城の唐桑出身で演歌好きだったが80年代後半に他界している。祖母は香川の志度出身で10代の頃は巫女みたいな占いを近所でしていたそうだ。
「お嬢様」だったと聞いていたが、近年その理由が発覚した。父(筆者の曽祖父)はその水産会社の前身会社の重役で、戦争時代、朝鮮漁業組合の理事を務めていたとのこと。ある程度裕福な少女時代を過ごしていたのだろう。
その影響からか叔母はクラシック音楽教育を受けピアノの先生になった。筆者は叔母からピアノを習った。おそらく少女時代の影響で母たち姉妹にも「お嬢様教育」をしていたのだろう。
それにしても、坊主の真似事にお嬢様教育、よくわからない血が混ざったことが金属恵比須の礎を築いてしまった。
血は争えない。
二十三回忌に生まれたし。
本当にそう思う。
(機材写真:木村篤志)