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年賀状がなくなる日

テクノロジーが進んだ今の時代の流れを止めることは出来ない。
世の中がより合理的かつ便利な方へと変わって行くのは、もはやしょうがないのだろう。

新年のご挨拶の年賀状が減っている。
もしかしたら年賀状がなくなってしまう日が、この先いつか来るのかも知れない。
今年は年賀状を書かないという人が、約6割にも及ぶという。
もちろん年代にもよると思うが、郵便料金が値上がったこともあり、
今やLINEでのご挨拶が一般的となりつつある。

元旦の朝、テレビのニュースで配達員が一斉に郵便局から出発する姿が映し出されていた時代は今や遠い昔。
長老が懐かしそうに言う。
「昔は年賀状というものがあってな、新年のご挨拶をしたものだ」
「わしには元旦の朝には100枚以上もの束になった年賀状が届いたもんだよ」と。

そんな私もここ数年、年賀状は来た人にしか出さなくなり、今年はずいぶんと枚数が減った。
そもそも何かと忙しい12月に、「昨年はお世話になりました」「今年もどうぞよろしくお願いします」と書くことに小学生の頃からずっと違和感を感じていた。
12月に年賀状を書かなければのプレッシャーがなくなり、ある意味スッキリしたとも言える。

20代30代の頃は結婚しました。ご主人の名前が一緒に書かれた年賀状が届くようになり、その後は毎年子供の写真付きの年賀状が数多く送られて来た。
そんな年賀状を遠目で見ながら、決して負けているわけではなかったものの、ひとりお正月を過ごす気持ちは複雑だった。

母はお正月になるといつも機嫌が悪かった。
母がどんなお正月を望んでいたのかはわからないけれど、きっと自分が望むお正月ではなかったのだろう。

今でも忘れられないお正月の日がある。
年末の仕事が終わりこれから帰ると朝、母に電話をし私は実家へ向かった。
ところが夜、家に帰ると誰もいない。
夕食はと冷蔵庫の中をのぞくも、めぼしい食べ物は何もなく、あったのはタラコと釜に残っていた冷えたご飯だけだった。
待てども母は帰ってくる様子もなく、やがて深夜になり仕事から父が帰ってきた。
この日、母は男仲間と徹夜麻雀に興じていたのだった。
普段は怒ることのない父だったが、さすにこの時ばかりは怒りをあらわにした。
しかしこの父の怒りが何倍にもなって、元旦に母から返ってきた。
そこにはいつまでも嫁に行こうとしない娘がいて、朝から新年会だと酔っ払った亭主に腹がたったのだろう。

子供の頃はどんなに母に怒られても、たとえ理不尽であったとしても母には従うものだった。
しかし大人になったら、その縁は切れてしまうことだってある。
それ以来、私はお正月に実家に帰ることは一度もなかった。

結婚より仕事を優先してきた私だった。
お正月、母に孫の顔を見せることが出来なかったことは、親不孝だったのかも知れない。

夫が結婚の挨拶に行った時には、すでに母には認知症の症状が出ていた。
会話は成り立つこともなく、母にとってはその後も夫は知らない人のままであった。

そして今ならあの世に向かって母に言える。
麻雀やパチンコに明け暮れていた母は、母なりの人生を楽しんでいたのであろう。
人生を楽しくするも、しないも結局は自分次第なのだ。

あの時、母の元にはお孫ちゃんの写真が印刷された年賀状がたくさん届いていた。

そして今年も、うちの猫可愛いでしょ。
嬉しそうにnoteに写真を投稿している猫バカな私がいる。
もしかしたらこれは子供や孫の写真の年賀状を送るのと、たいして変わらないのではないかと思うのだった。


お茶にしましょう
外は寒いから
暖かったハワイを思い出して
人気のアサイーボウルです
*アサイーはブラジルのフルーツだそうです

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