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今日も私は外野で私の時間を楽しんでいる

小学生の頃ドッチボールが大嫌いだった。
なんでボールを人にぶつけることが楽しくて、皆が喜ぶのかがわからなかった。
身長が低かった私はボールを受け止める技など全くなく、ただただ逃げ回っているその姿は、まるで狭いケージの中を走り回るネズミのようだったと思う。
やがて子供ながらにもだんだん知恵がつき、ゲームが始まるとボールが当ったふりをして内野からそっと外野に移ることを覚えた。
あとは外野でボールを受け取ることも、人にあてることもなく、ただなんとなくゲームに参加をしているフリをしていた。
このことを先生は知っていただろうか?

きっと私はそこから人生も逃げることを覚え、身を守ることを覚えたのだと思う。

嫌な時は逃げるという選択だってあって良いのだと思う。
顔面にボールがぶつかって痛い思いなどしなくたっていい。
私はしたくない。
顔面に青あざなんてとんでもない。
自分の顔を体を守ることが出来るのは自分しかいないのだ。

それでも戦いたかったら、戦えばいい。
ひとり倒し、2人、3人 4人・・・
相手に、思いっきり力を込めてボールをぶつけたらいい。
全員を倒し、勝利を手にした時にはその達成感と満足が得られることだろう。
そしてきっとクラスのヒーローになれる。

私はそんなクラスのヒーローを、ただ横から眺めていることだろう。
もしかしたら、かっこいいな〜と憧れているかも知れない。
それでも私にとって勝ち負けなど、どうでも良いことだった。

ある日、知り合い数人とカフェで盛り上がった。
ひとりの人の愚痴が止まらない。
皆がうんうんとうなずく。
そこには大人の暗黙のルールというものが存在する。
チームワークは、なかなか良さそうだ。
しかしながら愚痴の相手は強豪のよう。
ストレートの力強いボールが投げられ、返って来るボールをがっしりと受け止め、また投げ返す。
言葉というボールはぶつけられたらけっこう痛い。
その痛みは悔しさと一緒に長く続くことだろう。

ボールが来ないように、ぶつけられないように。
私はコーヒーを飲みながらイチゴのショートケーキのイチゴを口に入れる。
今度はひとりで来てミルフィーユにしようと思いながら、私は外野で聞いているふりをしているのだった。



お茶にしましょう
イチゴのミルフィーユを食べながら
うんうん
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