ナプキンで羽ばたく女性たちを見て。
先日、Netflixで配信中の短編ドキュメンタリー『ピリオド 羽ばたく女性たち』(原題:Period. End of Sentence.)を観た。端的に言って素晴らしすぎる以外の何物でもないこの作品を、まさか配信で、誰もが視聴できるこの時代に生きていることに感謝したくなった。
インドの田舎村に機械を導入し安価な生理用ナプキンを製造することで、生理につきまとう悪いイメージを払拭し、女性の経済的自立を促そうと女たちが立ち上がる。(公式サイトより)
作品の中では、「生理って知ってる?」という質問に対して、男女共、はにかみながら沈黙し、男性に至っては、とぼけた挙句「女性の病気?」と発言する始末。(キレていいですか?)私たち女性に当たり前のように毎月訪れる生理は、彼らにとってタブー中のタブーなのだ。
彼女たちの生理用品は、そこらへんの布切れ。ナプキンなんて、聞いたことも、使ったこともない。布を取り換える際、男たちに"絶対に"生理と悟られないため、遠くのトイレを使う。使い終わった布は草むらに投げ込むらしい。
そんな村にナプキン製造機がやってくる。村の女性たちが集まって、巨大な綿菓子のようなポリマーを機械で圧縮し、ナプキン用に成形。最後にきれいに箱詰めして、"Fly"という商品名で販売する。小売店や女性たちへの営業も彼女たち自身で行う。それまで経済的に男に依存していた女性が、職を持ち、お金を稼ぐ。ナプキンが女性たちを自立に導いていく。
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なんというエンパワーメント。目頭も拳も熱くなった。"女性応援"や"女性の社会進出"などという、一連のオジサンが生み出したような用語では語れない。とにかく地に足ついてる、現実見えてる。
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今このnoteを書きながら、「じゃぁ社会が女性のために、何をどうしてほしいのか」考えていた。しかし具体的に何をしてほしいのか、はっきりとは浮かばなかった。もちろん、賃金格差や政治参加など、当たり前のテーマはある。私の勉強不足なところもあるけど、どうにかしてほしいことは、言葉で語れないほど日常の中に根深く存在しているのではないか、と思う。
例えば、
認可保育園が増えない、保育士が不足している。(←この時点では社会が悪い)
→待機児童が増える。(←まだ社会が悪い)
→母親がキャリアを諦める。(←誰が悪い?)
それが母親でなければいけない訳はないのに、必ずと言っていいほど母親が家にとどまらなければいけなくなる。
母親は母乳が出るという身体的特徴もあり、「だってお母さんがいいもん」という論議もある。しかし、子どもはミルクだけでも育つし、「育メン」という的外れ(普通に育児しろ)な男性も増加しているらしいので、それ(女性が出産・育児とキャリアを天秤にかけなければいけなくなる実情)が全て社会が悪いのか、と言われると「うーん」となってしまう。
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私に、課題や解決策がはっきり見えないのは、上のように、個人が解決できないような大きな問題を、小さな個人の問題に落とし込んで、個々人に責任を負わせようとする風潮があるからなのか。
そもそも、男女の入学や雇用機会が平等で、同一労働・同一賃金で、もっと国が福祉に予算を割いて、認可保育園が増えて、保育士の賃金と労働環境が向上したらいいわけで。女性が「保育園にも入れられなかったし、仕事と育児は両立させられないから、夫と同じくらい働いても賃金の低い私がキャリアを諦めるしかない」と思い込まされているのは間違ってない?
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原題は"Period. End of Sentence."。このタイトルの通り、ピリオドとは「終わりの印」。私たちはこれから、何かの終わりを目にするのかもしれない。そのムーブメントの中に、ちゃんと当事者でいたいなと思った。
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余談だけれど、私の夫はナプキンの素晴らしさをよく知っている。痔の手術後に、膿が止まらないためガーゼと合わせてお尻にあてがっている。ポリマーが傷口に当たるのは怖いので、オーガニックコットン100%のナプキン。私のものより費用はかかるけれど、生理の時の下半身の気持ち悪さや、漏れないか不安な気持ちを少しでも分かってくれたようで、妻としてラッキーだったなと思う。痔はとても痛そうだけど。笑
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