【都トムインタビュー中編】モノマネが得意なのは実は可児さん
前編ではおふたりがお笑いに興味をもったきっかけから、芸人を志すまでの履歴をうかがった。芸人になってからは長年お互いピンでやってきたが、満を持してコンビを組むこととなる。その理由とは?
──大学を卒業して養成所に入り、芸人の道を歩き始めました。
高木払い(以下高木):養成所、プロになってから、それぞれ別の人とコンビを組んでいました。解散してからはずっとピンです。
モノマネの事務所なのでモノマネ番組のオーディションが来るんです。僕もモノマネをもっていた方がいいなと思っていろんなキャラでネタを作るようになりました。「指が腫れている陣内智則さん」とか。
(ザクセス)栗原くんのライブもモノマネで出させてもらってます。栗原くんと一緒に『ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ』のオーディションに行ったこともありますね。僕がMr.都市伝説・関暁夫さんで、栗原くんは仲のいいスタッフさん。さすがに通らなかったですけど(笑)。
可児正(以下可児):全部のモノマネに関して、似てはないですもんね。
高木:狭い範囲のジャンルで、シルエットだけでも似せようって感じです。
可児:僕は高木さんと組むまで、大学お笑い時代からずっとピンで、組む気もなかったです。
コンビだと登場人物がひとりのネタってできないけれど、ピンなら何人でも登場させられるので、ピンの方が自然な形だなと思っていました。ふたりいる設定だとしても、もうひとりを巨人とか猿とかにできますし。だから、ふたりでやるようなコントをただひとりでやっているみたいに見えないようにはしていました。
──ずっとピンでやられていましたが、コンビを組まれたのはなぜでしょう? 可児さんが『R-1グランプリ2022』に落ちたからというのも拝見しましたが……。
可児:って言ってますけど、高木さんと組みたかったんですよね。
高木:ハハハ。
可児:フィーリングが合ったから。
高木:僕がネタに対して職人気質ではないというのは、フィーリングが合った要因としてあるかもしれないですね。ピン芸人ってこだわりが強い人も多いんですけど、僕は“コンビのネタ書いてない方”みたいなふるまいをしていたので。
可児:高木さんはピン芸人というより、“コンビを組んでない人”って感じでしたね。言い方悪いですけど、コンビを組んだことでマイナスがゼロになったみたいな。
高木:だから僕としては収まりがよくなったというか。まわりから「ラッキーだな」って言われることもあります。
(にゃんこスター・スーパー)3助さんは「俺だって可児と組みたいよ」って言ってました。
可児:でもそれ言ってくれるのって3助さんと加藤ミリガンさんだけですよ。
高木さんって、いま人気になってきている人たちと昔よくライブに出てたんで、その人たちからは「俺らのよく知っている高木払いがよくわからないやつを連れてきた。俺らのマドンナに手を出しやがって」みたいな空気を出されることもありました(笑)。
──1年ほどユニットで活動して、正式にコンビを組まれましたよね。
高木:ユニットでやってみてしんどさがなかったし、「これならやれるな」って思いました。
でもユニットだとライブで紹介してもらうときに「結局正式には組んでないんだっけ?」って聞かれたり、お客さんから見てもユニットよりコンビの方が応援しやすかったりするだろうなと思って、正式に組んだ方がよさそうだな、と。
可児:ユニットをやっている間にピンでライブに出る機会があったとして、そのときにお客さんに「やったー」と思われても「えー」って思われても嫌だなと思ったんです。コンビでやるならコンビだけでやりたいと思ったのも、正式に組むことにした理由のひとつです。
あと僕はモノマネが好きなので、コンビを組んでジンセイプロに入りたかったっていうのもあります。
高木:確かにモノマネが得意なのは実は可児さんっていうのは言っておきたいですね。僕の方がモノマネのイメージがあるかもしれないですけど、実際の完成度でいったら可児さんの方が高いです。
可児:練習するのが好きなんですよね。モノマネは正解があるので、やっていて楽しいです。
でもこの前久しぶりにXにモノマネをあげたら、「相方さんのパクリですか?」って言われてしまいました(笑)。やっぱり高木さんのモノマネはそれだけ浸透してるってことですよね。
★都トム
キングオブコント2023準決勝進出
高木払い(たかぎばらい・写真右) 神奈川県出身、1992年11月13日生まれ、スクールJCA24期出身
可児正(かにただし・写真左) 滋賀県出身、1994年7月9日、ワタナベコメディスクール29期出身