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ペットショップの店員さんの気持ち
犬を飼っていました。もうおじいちゃんになったけれど、小型犬で赤ちゃんのように愛らしく、私が元いた家に今もいて、家族が留守の間、日向ぼっこをしたり、庭に入ってくる猫に吠えたりしているのでしょう。昔のまま。
その子をペットショップから迎えた日のことをふと思い出しました。
一週間かけて、その子を迎える準備をしました。いよいよその日になり、最初の時からずっと担当してくださっている、まだ若い男性の店員さ
オオサンショウウオの見る夢
昨年の紅葉も終わりの頃、わたしは、生まれて初めて、オオサンショウウオに出会いました。
いつからそこにいるのか、捕らえられ、何もない、石も、水草もない、ただガラスだけに囲まれた水槽の中にオオサンショウウオはいました。置き物や、化石のように、身動き一つせずただじっと、そこにいました。
すぐそこに、ふるさとの湖があるのに、帰ることもできず、何年くらいそこにいるのでしょうか。気が遠くなるくらいの年月を
あれほど別れたくなかった人が再び現れても、会いたいと思わない不思議
先日、失恋について書きました。偶然なのか次の日、お別れしたその人が、アパートを訪ねて来たのです。お別れしてから半年くらい経っていました。わたしはちょうどその時シャワーを浴びていて、チャイムの音に気がつきませんでしたが、夕方メールが届いていました。
今日アパートに来たこと、インターホンに映っているだろうから驚ろかせてはいけないとメールしたことが書かれていました。
その見覚えのある文面を見た瞬間、
月夜の晩に。パートナーさんとの幸福な時間。
パートナーさんと月を見に、湖のほとりに行きました。
パートナーさんの買ったばかりの折りたたみの椅子とテーブルに、ノンアルビールとおにぎりを並べて、明るく輝く月を2人で座って眺めました。
月を静かに並んで見ていると、夏の賑やかさや慌ただしさが、過ぎ去っていったんだなと感じました。
横を見ると、月明かりに、パートナーさんの顔が見えました。眉毛がルパン三世の眉毛に少し似ています。出会ってからまだ半年
浦島太郎は、なぜ、故郷の島に戻ったのでしょう。
浦島太郎は、竜宮城で、毎日乙姫様たちにもてなされ、美味しい物を食べたり、歌ったり踊ったりして楽しんでいたのに、どうして故郷の島に帰ったのでしょうか。
家族のことを思い出したのでしょうか。友だちや知り合いに、会いたくなったのでしょうか。
慣れ親しんだ故郷を思い出し、ホームシックになったのでしょうか。
美しい乙姫様でさえも、留めておくことはできない、故郷への想いとは、何でしょうね。
人は飽きやす
この瞬間を、小さく折り畳んで小瓶に詰めたい
夕べ、急に悲しくなって目が覚めました。
昨日、またパートナーさんが遊びに来てくれたのですが、
玄関を開けて入ってきた時のパートナーさんの姿がとっても印象的で、
いつものようにドアチャイムが鳴り、
わたしは走って行ってドアを開けると、そこにはいつものパートナーさんの笑顔があり、いつもの様に「ただいま〜」と言って、
昨日は、ギターを立てる支柱を買ってきてくれて、ギターを立てかけた部屋はとってもカ
マディソン郡の橋のフランチェスカは…。その時、わたしは…
むかし、「マディソン郡の橋」という映画がありました。
田舎に住む平凡な主婦のフランチェスカが、家族が牛の品評会に出かけている間に、その土地にある屋根付きの橋の写真を撮りに来たというカメラマンと出会い、恋に落ちるという、地味で真面目な奥さんの、世間的にいうとフリンのお話です。
この映画が話題になったのは、わたしが20代の時でした。わたしは映画は観ていませんが、原作を貸して貰って読みました。
若いと
カゲロウの生涯は、儚いのか。
カゲロウ。
何処へいく、というわけでもなく、玄関先などで、パタパタと羽をバタつかせるカゲロウを見たことがあると思います。
彼らには、口がない。
地上に出てからの彼らの生涯が、あまりにも短い為に、食べる必要がないのです。だから、消化器官そのものがないのです。
儚さの象徴のようなその生涯は、特にわたしが今住んでいる県で見られるというオオシロカゲロウの成虫での寿命は、「一日」ではなく、実際は「数時
浮き草のようなわたしを捕まえてくれた緊縛
誰のことも所有せず、また、自分自身も誰にも所有されずに生きる。
それは、とても自由なようで、肉親や友だちなど、頼る人の全くいない土地でひとりでいる場合には、ある意味過酷な状況と言えます。
自由には二つの要素があると、わたしは思います。一つは自由になることそのもので、もう一つは、そうして手に入れた自由でしたいことをすること。その二つはセットで、片割れがないのなら、せっかくの自由が眠ってしまうように