うそのない空間をもとめて。はなす・とむらう・まつる・いのる
うそがつけない質だ。世間話も、天気の話も、ガキの話も興味はない。
聞きたいのは、その人の話。話したいのは、私の話。
さあ、次の世界へ踏み出そうとしてみると、いままで自分がしてきたことは何だったのかとふわっと思いがよぎって、あっけなく答えは出た。
「うそをつかなくていい場」をつくってきたのだ。
父の死後、「命あるものいつ死ぬかもわからない」と強く実感し、自分にとっての生前葬のような「会いたい人に会っておく。」という場を始めた。会いたい人を一斉に集めてしまって、彼らの対話を楽しむような、そんな会halcyon~翠~(ハルシオン)。こうして書くと本当に、私が対話に加わることよりも、その未知の人たちの関わり合う姿を、その何か分かり合おうとする平和のあらわれとして、うれしい気持ちでみているのが心地良かったのかもしれない。
それは私自身が一番に求めていた、独立したその場限りの「むら」のようなものだ。私の中にあり続ける「むらをつくる」っていうものは、定住が必要な何かではなくて、そういう即興的な、夢のような、おそらくはいずれ「舞台をつくる」につながっていくという感覚。
そこで一気につながったのは、
自らを 話す―放す
弔うー祭るー祀る それらをかたち作るーいのる
以前書いた、「人間を脱ぎ捨てて神になる」にも通じる。
どんどん神的な何かに使われやすい存在に近づいていくんだなぁ。
生まれてこのかた、だいたいのことを「突き動かされるように」やってきて、何をしたって後で振り返ると「よくやったなぁ~」と信じられない気持ちになるのだが。笑
下の記事でも書いたように、私の他の場づくりは、
はなす サロン月草
まつる wassa!wassa!男と女と酒と音とからだのハルシオンまつり
その根底に流れる思いは、
自らを、ある人を、思いを、トラウマを、
話し、解放し、弔う。昇華する。
そういう場を開くそれ自体が、私にとっての祈る、ということだったのかもしれない。
まあ、こうして定期的に同じようなことをぐるぐる意味付けしたがるのだけども、あとは、ひとつひとつ動いていこう。流れていくままに。
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