「自分なりに弔う」ことで癒される。いとこ、父、祖父母、友人、我が子をおくって。
この一年は、引きこもることで自分を整えてきた。今はまた人と関わりたいと思い始めている。
先日お話しする機会に恵まれ、知人の死について、その死を封印しなくてはならなかった哀しみについて話し合った。時間が限られており、ほかの話題もあふれてきてしまって、深めきらないままお別れになった後、「死別や別離」と向き合う姿勢について伝え続けるのは私の使命の一つだと、何か湧き上がるものがあった。
実はもうテキストはある。寝不足続きなので、汗。今日はおもに流産体験についてのリンクをはります。これから死別それぞれの、弔い、その後みたいなことを書いていけたらと感じています。
はっきり言って、人の言葉に興味はないし読み込めない。笑 けれど、自分の言葉は、くりかえし自分の感性を気付かせてくれる力を持っている。この記事を書くのに、いままで書き溜めたブログ記事を久しぶりに読み返す機会にもなった。過去に書いた文は、もちろん今に比べて、まだ「皮をかぶって」生きていたので、まどろっこしく感じる部分も多いけれど、下にリンクする記事に関しては、「弔う」こととその先の「希望」に関して分かち合える内容だと思う。
リンク先のリンクみたいなものもたくさんあるので、必要としてくださるならそれらを追っていただくのもおすすめです。各々長文ですが、ドキュメントです。
ちなみに、頻出する「サロン月草」とは、数年間女性たちのための(何より自分自身が)本音で本当に話したいことを「放す」、語り合う場として月一回ペースで開いていたものです。
テーマは、幼少~思春期の性、性欲、流産死産、死別など
生死にかかわること、トラウマや悲しみの解放につながるようなプライベートな内容に重点を置いていました。今後の再開は未定ですが、いろんな人の物語を聞かせていただける場が恋しくなってきたこの頃です。
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現在三人の子に恵まれていますが、二人目のあと、一度流産を経験しました。ちょうどそのころ、サロン月草で繰り返し、死別や流産死産をテーマに話し合いを深めており、不思議と穏やかに冷静に、悲しみや怒りや感謝など様々な感情と向き合うことができました。
から間もなくの、、現在3歳になる末娘の妊娠の記録です。上二人の子どもたちの感度にはいまだに驚かされるばかりです。
ネタバレですが、ちょうどおなかの中の子の心拍が始まったころに、長女本人が卒乳宣言をしました。そのころ「おなかのなかのあかちゃん」だといって描いた絵は、よく見ると精子のような?発生のごく初期の融合みたいな状態を感じられて、、この人には何が見えていたのだろう。ほんとに見えちゃうんだな。とぞくぞくします。
ちなみにお口の達者な末娘は、胎内記憶よりも以前の前世というか、精子や卵子だった、つまり「おとうさんのなかにもいた。」というようなこともよく言っていました。また、以前マヤ歴を調べてもらったら私の父と末娘は「同じ」らしく、生まれ変わりでは?ともいわれたことがありますが、たしかに「おかあさんがひな(自分)のなかにいた」というようなこともいってみたり。
もう、、、宇宙。
言葉そのまんまに疑わずに受け取るタイプなので。笑 全部一字一句彼らの言葉を楽しんでいます。
お葬式とか別れの儀式をすることは、生き残った存在にとって必要です。悲しみは大なり小なりずっと何かしら抱き続けることになると思う。しかしことが起こった直後に、あわただしくすること、気を張る時間、仲間に囲まれる時間、そうやって自他ともに、こころを支えることが、後々のさまざまな思いと向き合う土台となるのではないかと思う。
そして、その後もその人や失った何かのことを表現し続けていい。
それを受け止めあえる仲間や社会があってほしいと願います。