ムラ会社と日本型雇用と解雇規制緩和 Article1
先日の自民党総裁戦は非常に盛り上がりましたね。政策発表の中で本命候補者の一人が「解雇規制の見直し」を提言しておりました。
どうせ総裁になっても実行できないだろうと思っており「ふーんそういう考えもあるよね」程度にしていたんですが世間では衝撃が大きかったようです。なので遅ればせながら僕も乗っかろうかなと。
そんな中、僕の好きな作家である橘玲さんが本件について言及されており記事を引用させて頂きつつ考えを述べていきたいと思います。記事の引用等について快諾をいただきました橘氏には改めて御礼申し上げます。
橘玲氏の記事について
当該記事はリベラルを謳うものが特権階級と定義づけしている「正社員」の立場を守る保守的な考え方に疑問を呈されています。
「正社員」が特権階級かどうかはそれぞれの価値観によりますが、「短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律」や「同一労働同一賃金ガイドライン」施行などから国もそのように見ている部分はあると推察されます。
他方で橘氏は別の記事で日本型雇用について下記の通り述べています。
日本人は同質性を好み、会社を(自分たちの生活を守ってくれる)イエと考え、サービス残業などの滅私奉公によって忠誠心を示すことを当然としてきた。内部通報など会社の不祥事を告発するのは「裏切り者」で、そんな社員は追い出すのが当たり前と考える経営者や労働組合は依然多い。そんな解雇を「許される」としてしまえば、日本は「リベラル化」する世界からどんどん脱落していってしまうから、「許されない解雇」をした会社には行政罰を課すだけでなく、その事実を広く告知するなどして社会的制裁を加えることも必要になるだろう。
出典:橘玲 公式BLOG いまこそ「金銭解雇の法制化」の議論を始めようー2024年9月13日
度々同氏の記事を拝見しているとワードとして「日本型雇用」。そして日本の会社は「イエ」であること。
「イエ」とは「家父長制度」及びそれを基盤とした家族のあり方を指しているでしょう。
家父長制度は、家族の中で父親(または男性)が絶対的な権力を持ち、家族全員を支配する制度です。この制度は、明治時代に導入され、家族内の権利や役割を厳格に定めるものとして日本社会に強い影響を与えました。
では、「日本型雇用」と「イエ」は同一のものなのでしょうか?
これらは関係は大いにありますが下記の通り別個のものであると考えます。
「日本型雇用」=システム 「イエ」=感情
それぞれで分けて考えて行きたいと思います。
日本型雇用の特徴
「日本型雇用」は一般的に下記の特徴があるといわれています。
終身雇用
年功序列
企業別労働組合
メンバーシップ型雇用
どれもこれも崩壊するやらもう終わりだと言われて久しいですが、現状ではしぶとく生き残っております。終身雇用に関しては人手不足で会社側が定年を超えた勤続を求めていますし、年功序列は業務経験年数でしか業務能力を測れない会社は年齢(経験)=能力になります。
メンバーシップ型雇用については今度別で書きたいですが日本における労働の定義を根本から再定義しないとジョブ型雇用のようなメンバーシップ型雇用が続くと思います。
この中で一番崩壊しているのが企業別労働組合ですね。このシステムが上手く回っている会社は非常に懐が深いなと。
ムラ会社の特徴
「イエ」に基づき設立された会社を本記事では別の言葉で呼ぶこととします。ムラ社会ならぬ「ムラ会社」なんてどうでしょう?僕が経験上や橘氏の記事によると下記の特徴があると思います。
「解雇」という選択肢を取らない
正社員とその他雇用形態の不合理な待遇差
行政への訴えなど告発者は「裏切り者」とされる
労基法などの法令より会社のルールが上位法となっている
妙なところで面倒見がいい
上記に加えて「日本型雇用」の特徴も多く取り入れられていますがこれはムラ会社を形成・維持するのに最適なシステムであったためそうなったと推察しています。
ムラ会社の特徴は会社の方針や理念など高尚なものついてではなく、会社に従わないと徹底的に弾圧されるところにあります。一方で突然の手当支給や、従業員の借金の面倒など器が大きい面が見受けられます。
これらの特徴は経済的利益を追求する「会社」の特徴としては著しく不合理です。従来の「家父長的家制度」による「イエ」そのものです。
そもそも日本の「会社」とは合理性に則った経済的利益を追求する集合体なのでしょうか?
日本ではムラ会社が存在する必要があったのだと考えます。
ではなぜ家の他に同様の性質を持ったムラ会社が必要だったのでしょうか。
ゴリラと明治維新
数年前にゴリラなど霊長類を研究されている方の対談形式の記事を読みました。ゴリラやチンパンジーは20〜30頭を一つのコミュニティとするようです。その中で家族が形成され子どもを育てる。何かあった時は家族とコミュニティで解決します。
これが同じ霊長類である人間にももちろん適用されるのですが、日本はどうやらそうではないらしいです。日本以外の国では近代まで家族での問題が発生した場合は家族で解決する。話し合いを主として全員で問題解決に立ち向かう。
これが本当にできているかは個別の話にはなりますがこれができてない家族が日本が多いとのことです。本来、家族が備えてるべき機能がなぜ失われたのか。
それは明治まで遡るようです。
欧米列強への対抗を目的とした「明治維新」は急速な近代化と共に歪みをもたらしました。「富国強兵」の達成のため「家父長的家制度」を文字通り制度化し「家父長」以外の家においての権利を著しく制限しています。
子についても序列があり家督を相続する長男以外は男子であっても基本的にイエの存続に必要ありません。
彼らは独立・奉公、職人や商業活動へ従事し社会へ参加します。
しかし彼らの「家族」は残っていません。明治期の出生率は平均で30.0を超えており女子や労働力として残る男子を除いてもそれなりの数の男子が家族を失ったと言えます。日本の家族はこの時代に崩壊したとのことです。
これらを総括し次のように推察します。
彼らは「家族」を失ったが、人間である以上「家族」は絶対的に必要である。
彼らは外。特に会社に「家族」を求めた。
これは社長であっても労働者であっても同じです。そもそも日本の多くの「会社」の成り立ちはコミュニティ=「家族」の構築が目的であったと考えた方が自然かもしれません。
ムラ会社の継続と変化
戦後、高度経済成長を迎えてもムラ会社は設立され続けます。なぜなら日本では既に「家族」が崩壊しているからです。
それに合わせた「終身雇用」などムラ会社を維持しやすい日本型雇用システムが組み込まれようやっと完成しました。
しかしながらバブル崩壊・グローバル化の波によって存在自体が危ぶまれています。これはムラ会社が全く不合理な組織であるため当然のことです。
結論からいうとムラ会社は脱却すべきです。あまりにリスクが高いからです。それに併せて解雇規制がどう影響しているのかを次回書きたいと思います。