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Ⅰ大学病院時代@東京 ①研修病院編 その2

研修医として大学病院外での初勤務(アルバイト)は、一般的には関連病院の夜間当直を振り当てられます。
まだ日中の外来を担当する技術も、話術も、臨床知識すらも足りていませんから。
そこで、マニュアル本を握りしめ、想定される救急外来受診患者や入院患者の症状(発熱や腹痛など)から鑑別診断や、治療薬を調べたり書き出したり、呼び出し音が鳴るのを当直室でビクビクしながら待つことになります。
一応お守り代わりに医局の先輩医師の携帯番号や、大学病院の電話番号(いざとなれば用)をポケットに持っておりましたが。
緊張でシャワーに入る余裕もなかったですし、入ってもずっと耳をそばだてていました。
初めて死亡診断書を記載するのもアルバイト先で、の医師が多いのではないのでしょうか。
何もできないであろう新米医師が送り込まれることの多い、通称、老人病院と呼ばれる高齢者で積極的治療を望まない、けれど家にも連れて面倒を見られない患者さんたちが多く入院する病院では、一定の割合でお看取りの場面に当たります。
ご家族を前に一人前の医者の顔をして、これまでの経緯もカルテを慌てて読んだだけの状況で、神妙な顔をして死亡宣告を行うことに何とも納得のいかない思いのようなものを感じていました。
悲しいことに、その思いもどこへやら、といつの間にかなってしまったのですが。
その夜間当直アルバイトを週に2回、週末の土曜日から月曜朝までの通し当直を月に2回、それで生活費を稼いでいたのでした。
そしてこの生活費を得る術は、医学博士を取り、大学院を卒業するまで続くのでした。。。

アルバイトも期間もそここに、間もなくして、いよいよ研修病院へ出向となりました。
私の場合は医局と提携している民間総合病院があり、そこで内科ローテーション研修を1年間行うことが通例となっていました。
これも各医局毎に異なっており、過疎地や離島に出向する科もあれば、研修が数年に及ぶ科もありました。
また、入局の条件として勧誘時期にこちらから希望を出すことも可能でした。

こちらではイチ医師としての待遇となりますので、アルバイトは行わず、研修病院のみにみっちり詰める生活となりました。
いわゆる正社員として勤務する、ということです。
出向先の病院は大学病院からは離れていたため、近くに新たにアパートを借り、ほぼ毎日朝から晩まで病院通いをする生活が始まることとなりました。

次回はタイムスケジュールや、民間病院の人間関係なども含め、研修医生活を記したいと思います。



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