Ⅰ大学病院時代@東京 ②大学病院研修編 その2
救命救急。
医者と言えば、の姿をイメージする方も多いと思います。どんな状況の患者でも救う、そんな所であるのは確かです。
例に漏れず、私も医者になったからには、間の前で倒れた、苦しんでいる人をその場で助けられる技能を身につけねば、と思っての選択でした。
ここで簡単にシステムに関して説明しておきます。
救急対応施設には1次から3次まであり、ほとんどの方が普段利用されるのは、発熱や外傷などすぐに命に関わらないと判断される患者さんが受診する2次救急です。
意識がない、命の危険があるような患者さんが運ばれるのが3次救急となります。ほぼ救急車で搬送されてくることになります。
特殊な機械など設備や人員が必要となるため、大学病院や大規模総合病院などが担っていることが多いです。
救命救急センター内にあるホットラインと呼ばれる赤電話に、都の救急指令室から連絡が来て、患者さんの状況を聞いた上で対応を判断し、外来へ到着までに機材や機器など、その準備を行います。
また病棟もあり、外来で処置を終えた患者さんはそちらに移動し、様々な機器でモニタリングされながら、日々処置や治療を受けていきます。
さて、一日の流れですが、私のいた病院では朝、夜間当番のチームから外来や入院患者さんの対応や変化などの申し送りを、医局という小部屋で全医師で聞き、入院患者さん全員の本日必要な検査や処置などの確認を行います。
それ以降は昼間の当番チームが外来対応を担当し、他の医師はそのサポートや、入院患者対応となります。
都心の大学病院であったこともあり、日々患者が搬送されて来ますので、入院患者を安定させて速やかに一般病棟や別病院へ移動することも求められます。
内視鏡検査や超音波検査は元より、血管造影検査や骨髄・胸腔穿刺など、普通であれば専門科が担うものも横断的に幅広く行わねばなりません。予約して待つことが出来ませんから。
手術や処置も同様です。20近くの手術室を擁していても、物理的・マンパワー的・時間的に手術室が使用できなければ外来や病棟で行わなければいけないこともあります。
研修医はチームの下っ端として、見て聞いて学び、手を動かして習得していく日々となります。
期限付きでもあり、積極的に外来対応にもサポートとして参加し、とにかく体を動かす、経験を一つでも増やす、が命題でした。
窓もほぼない造りだったこともあり、時間の感覚もマヒし、当番でなくても昼夜関係なく病院にいたため、いつか数えてみたらアパートに月9日しか帰っていないなんてこともありました。
もちろんアルバイトが主収入でしたので、その日当直なども含め、ではありますが、まるで病院に暮らしているような生活でしたね。
次回は具体的な救命救急科でのエピソードなど、具体的なお話を記していきたいと思います。
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