Ⅰ大学病院時代@東京 ②大学病院研修編 その1
1年間の総合病院での内科研修を終え、大学病院へ戻ることになりました。
とはいえ、すぐに自分の所属していた科に戻るのではなく、更に他科での研修を継続させていただくことになりました。
ここも各科によって対応は様々で、幸いにも私の科では研修医の要望を聞くスタンスでしたので、「救命救急科」と「内視鏡センター」で研修を継続することになりました。
ここで、総合病院で学んだことを整理しておきます。
①腎臓疾患:輸液(点滴)管理、人工透析組み立て/管理
②アレルギー・呼吸器疾患:ステロイド使用法、アナフィラキシー/喘息重積管理、人工呼吸器設定/管理
③上部消化管内視鏡(胃カメラ)
④血管造影、中心静脈穿刺
⑤心臓/腹部超音波(エコー)
⑥胃透視(バリウム検査)手技/読影、心電図読影
⑦小外科(切開縫合)など
⑧幼小児採血/点滴など
一通り基本を学んだ、という内容だと解釈して良いかと思います。
なので、やっと臨床的な基礎を身に着け、医者です、と名乗ってもいいのかもというくらいでしょうか。
その中でさらに学んでみたい、自分のものにして武器にしたい、と思ったのが胃カメラと、エコーでした。
総合病院研修1年が終わる頃に、大学病院の医局と相談し、それに対しては消化器内科での部分的な研修を調整してもらいました。
そして、医者と名乗るには人の命を救える知識と技術は持っておきたい、という理想像があったので、やはり大学病院レベルでしか学べない、3次救急を経験しておきたい、知っておかねばならないだろうと、そちらは本格的に救命救急科のスタッフとして組み込んでいただくことになりました。
そんな訳で苦い思い出や、甘酸っぱい思い出、初めての経験だらけの1年間を終え、改めて大学病院での研修生活へと戻って行きました。
1Rのアパートの荷物を整理し、大学病院に通いやすいアパートへ引っ越し、そこから先ずは救命救急科での9か月間の研修の日々が始まりました。
おそらく救命救急科を想像する時、「救命病棟24時」という昔のドラマをイメージする方もいるのではないでしょうか。(私世代のTV番組なので古くてスミマセン)
一つ一つのイベントはドラマ程ではないものの、それでもいろいろな状況が起こりました。
別の章で記したいと思いますが、ヤクザ抗争や、電車の飛び込み、ビルからの飛び降りなんていう、ニュースになる事件事故もありました。
病棟は常に騒がしく、いろんな動きや音で溢れていて、さながら繁忙期のレストランの厨房のような状態でした。
医局と呼ばれる小部屋と、仮眠室と呼ばれる2段ベッドが8床だけの部屋が病棟の奥にありましたが、常に散らかっていた画が思い出されます。
ここでの大切な経験や貴重な経験は、その後にもしっかり繋がっています。
次回は救命救急科研修の実際について記していきたいと思います。
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