効率化の行く先
いつからかこんなにも効率化を優先するようになったんだろう。
人の成長って本当に人それぞれで、
その人なりの道の作り方があるように思う。
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私は単調作業が苦手。
でも世の中には、単調作業こそ得意な人がいる。
私は電車の運転手さんになりたいとは思わないし、歌手になりたいとも思わない。
だから、世の中の電車の運転手さんや、心揺さぶる歌を奏でてくれる方々には感謝しかない。
みなさんのおかげで私は私が好きなことに取り組むことができる。
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人が増えてきて、より多くの人がより安定して生きていけるようにと、医学も科学も発展してきたのかな。
科学が発展する一方で、心はどうなのかな。
道徳というか倫理観というか。
人が人たる理由の一つは、唯一の動物との違いである“自由度”にあると思う。
神様は私たちに“選ぶ自由”を与えてくださった。
自由のおかげで私たちは、成長も衰退も選べるようになった。
果たして私たちが今選んでいるモノは成長だろうか。
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私は争いごとが嫌いだ。
みんな、どんな人であろうと絶対にお互いを思いやったり感謝したり敬ったりすることができる。
なんでもできる“自由”が私たちにはあるのだから。
それなのに争いを選ぶ理由がどこにあるだろう。
みんなどこか奥には絶対にあたたかさをもっている。
ただ、表に分厚い「恐怖」「不安」が張り付いているからわからないだけなんだよね。
もっと“待てる”人が増えたらいいな。
うーん、待てる、というか“見守っていられる”かな。
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効率化って、過干渉に繋がると思う。
なんでもかんでも「はやくはやく」って、相手のペースを自分にペースに無理やり合わせるために急がせてしまうと、そこには歪みが生まれる。
歪みが生まれると人は困惑する。
「じゃあどうすればいいの?」
心はもう叫んでると思う。
『私はいつだって自分なりの最前で頑張っているのにこれ以上いったいどうしろというの?!』
そこで、怒られたり、「こうしたらいいじゃないの」と無理やり与えられると、もうただの言いなり、従属、奴隷、指示待ち人間の出来上がり。
だって、待ってもらえない、“自分なり”が必要とされていない、それを見せつけられるんだから。
まるで地獄に突き落とされるような感覚かもしれない。
そりゃあ鬱にもなるし、逃げたくなるし、自殺したくもなるよね。
わけわからなくなって自分や周りを傷つけたくなるかもしれない。
でも。
そんな世界にはなってほしくない。
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効率化って競争とも繋がっていると思う。
競争って、いい面と悪い面があると思う。
共創も“きょうそう”という音を持っている。
競争にも共創と共通する部分がある。
そもそも競争って、共創するために興ったんじゃないかなぁ。
でも、ほんのちょっぴりだけ、行きすぎるところがあったのかな。
最初はほんのちょっぴりの違いでも、それが1,000kmも進んだらきっと全く違う大陸にいるんだろうね。
私はこの世界を、競争が上に立つ世界ではなく、共創でいっぱいの世界にしたい。
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競争することでお互いの能力の先っぽのその先を見つけることができて、新しい人間の能力を共創することができる。
素晴らしいことだよね。
その競争が、今は共創に向かう成分ではなくて相手を叩き潰す成分がだんだん強くなっているような気がする。
その結果が、効率化最善説。
なんで効率化が始まったんだろう?
相手に負けないように、もっと早く、もっと早く。
やっぱり競争に繋がっていると思う。
そんな部分はあってもいいのかな。
適材適所。
ただ。
全員に求めることはしないでほしい。
たぶん、世界の先っぽを突っ走ってくれる人、それが楽しくて仕方がない使命を持って行きている人が、“効率化”というカードを最適に使える人なんだろうね。
でも、それを手伝う人は全員がそれについていけるわけじゃなくて。
1人が効率化を求められる場にいるとき、その人と関わる周囲の人にも効率化の影響が出る。
世界は繋がっていて、水面の波紋のように広がっていくから。
たった一滴の水滴も、必ず波紋になるから。