シティハンターのイラストが私に語りかけてくれること
先日、CITY HUNTERの原作者、北条司さんのイラスト集を購入した。
私はかねてよりシティハンターが大好き。
その存在を初めて知ったころにはすでに単行本すら販売を終了しているころだったが、
幸運にも文庫版が発売されていたのでそこからのめりこんだ。
幼き頃はその魅力の何たるかはよくわからずも、その見えない魅力にとりつかれて何度も何度も読んだ。
大人になった今、30周年の映画が公開されたので観に行ったところ、
あの頃の熱き思いが、その火は燃え尽きていたのだとばかり思っていたのに、
それはただただ表からは見えないところに隠されていただけなのだと思い知らされるようにして燃え上がってきた。
大人になり、語彙力が増えた今、その魅力とは何なのか、
私は今北条司さんの作る世界からなにを受け取っているのか、
そんなことについて書いてみたいと思う。
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今回イラスト集を手に入れて目に留まったのは、その線のひとつひとつの緻密さ、繊細さだ。
iPadなどで素人でも簡単に絵を描けるようになった今から想像すると、
80年代のそれは、レイヤー分けもないただの紙1枚に、一発勝負で線を入れ色を入れ、していく。
まったく想像できない。
細かいことや、何かを継続すること、最後までやりきること、などなど
なかなかできないなぁ~
なんてぬるいことを言っている自分があまりにも小さく恥ずかしく感じられる。
こうして文章を書くにしても、パソコンで作業しているかぎり、何度でも書き直せるし、
なんなら塊の大移動だって数瞬で容易にできる。
そんな手軽さと、書き直しなんていつでもどこでもすぐにできる時代に生きている私の目には、
あまりにも自由度がないその世界は、あまりにも辛そうで、かつ、あまりにも神々しく映る。
一発勝負のそれは、もしかしたら武士道に近いものもあるのかもしれない。
紙と自分の一対一の勝負。
私自身、書道を多少たしなむ向きもあるので、その1本1本の線を書く難しさは多少なりとも知っているつもりだ。
その筆を、自分の意のままに操るには、あまりにも訓練が必要だった。
少しでも心がぶれようものなら、筆も容赦なく曲がる。
心と体のつながりが不十分だと、それが余計に曲がる。
昔の武士らが、精神統一だの、瞑想だの、そんなことをして何になるのか不思議でならなかったが、
今はほんの少し垣間見ることができる気がする。
精神のぶれは、そのまま刀筋のぶれとして現れる。
そういうことなのだ。
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果たして、今回購入したイラスト集には、私の大好きな冴羽リョウ(漢字がでないためカタカナ表記)のイラストも数多く掲載されているが、
今この年になった私の目に留まったのは、リョウの表情の豊かさだ。
二枚目から三枚目まで幅広い表情を見せるリョウだが、ふと見せる優しい一面や、
言葉にしなくてもわかるだろ?といいたげな表情などが、そのイラストからありありと伝わってくる。
まるでその絵に魂でも入っているかのようなのだ。
最近は、かんたんなイラストを描くようにもなったのだが、一番難しいのが「目」だ。
「目は口程に物を言う」とはよくいったものだと心から思う。
目がすべてを語っている。
現実世界の目が語るのはよくわかるが、それがイラストの世界でも語るものなのだから、私はこの時代に生まれてとても幸せだと思う。
線の1本もずれればたちまちにちがう表情になってしまうであろうその目を、今のその表情たらしめる”1本”に、私も少しでも近づけるように日々精進をこの絵に誓うのである。
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このイラスト集には北条司さんのインタビューも掲載されているのだが、そこにはこんなようなことが書かれている。
『●●が大嫌い!だからその真逆を言ってやろうと思った。それがシティハンター』
私がこの一文から心に浮かべることは、
「物事をそんなにスキキライしてはいけない・・・のでは・・」
幼き頃から、何かに突出することを恐れてきた向きがある。
例えばやんちゃをするというのは、ルールから外れるという意味で”突出”することだ。
何かが大嫌い、とか、何かが大好き!ということも、それを触れ回ることも、周囲の平均から”突出”することだ。
そんなことを気にしながら生きてきた結果、今、なんとも宙ぶらりんなせかいに漂っているように感じる。
大好き!や大嫌い!を追いかけていれば、そのうち壁にもぶつかろうし、壁にぶつかればそこから引き返すなり、壁をぶっ壊すなり、
それまでにはなかった方向付けがなされたであろうに、私は壁にぶつからないようにふわふわ生きてきたものだから、
方向を修正する機会すらなかった。
その結果、今、慌てて昔を取り戻そうとしている。
いろいろと、牛歩ながら動き出し、なんとか壁にぶつかろうとしている。
そこにはわけもわからない恐怖と言う名の敵が立ちはだかるが、それすらも私にとっては乗り越える壁だ。
今、こうしてシティハンターが大好きであることを表に出し、そしてその理由を自分で見つけていき、言葉にしていくことで、
今まで自分の中に霧のようにしてしか存在しえなかったものが形を成そうとしている。