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シンガポールで大学院を修了しました

仕事をしながら40代にしてシンガポール国立大学(NUS)、Master of Science Industrial and Systems Engineering (MSc ISE) 課程を2年半かけて修了しました。そこで、なぜ、何を学び、何を考えたかをシェアしたいとつらつらと書いていたら一万字にもなってしまいましたが、お時間のある方はお付き合い頂けると泣いて喜びます。


1) 大学院を目指そうと思った理由

社会人生活10年間を日本で過ごしたのち、2014年にシンガポールにある会社に転職、新たな場所・新たな内容の仕事で慣れないなかがむしゃらに働いていた。数年経ち、この先長い職業人人生を考えたときに自身が何らかの方法で役割・価値を発揮し続ける必要がある、また自分なりに楽しみながら仕事をしたいと思うなか、結局は基本的なコミュニケーション力と情報を編集すること、それは自分ならではの強みでもなく人と差別化したいスキルでもないこと、でしか仕事をしていないこと、その伸びしろのなさにだんだんと気づき、首まで上がってきた水位にあっぷあっぷ、膝も伸びきっておりジャンプさえできない、そんな気持ちになっていた。

日本で社会人だった際にも同じことがあった。新卒で入社したメーカーで5年程働き、所謂大手企業であった会社のブランドと基本的なコミュニケーション力でのみしか仕事をしていないこと、そこだけで人と差別化するのは自分には全く向いていないということにだんだんと気づき、持ち運び可能(ポータブル)かつ専門的な知識の必要性を感じるようになっていた。外部から転職してきた上司の勧めもあり、中小企業診断士の資格の勉強を始めた。途中諦めそうにもなったがその資格は高校生からの夢であった国際協力にも活かせると知り、結局は退職して中小企業大学校に行き日本全国の地銀、商工会・商工会議所など中小企業支援機関から派遣された人たちや自身のような個人とともに中小企業支援について学んだ。結果、世界が広がった。学生時代色々な国を旅行したり、中国に留学するなど地理的な世界の広さは理解していたつもりだったが、別の意味での世界が広がった。メーカーで働きかつ海外海外とばかり考えていた自分にとっては全国津々浦々の産業や特産物、それを支える企業、支援する機関、後継者問題などを意識する機会はそれまではなかったし、それらの話が聞け大きく広がった。卒業後、その広がった世界で習得したスキルを活かしたいとメーカーとは別の職種に就職した。

という、日本で働いた10年間の半ばで勉強をし世界観が大きく変わった、キャリアチェンジしたことを思い出し、そろそろまた勉強するタイミングなのだな、蓄えを作り再度ジャンプできるようにしなければいけないのだな、と思うようになってきた。そこで考えたのがシンガポールの大学院だ。志した理由としては、以下のようなことからだ。

  1. 仕事のなかで現場で経験的に得てきた知見と体系的に整理されたアカデミックな知識とを織り交ぜることで自分にとっての新たな発見があるのでは、今ならそれを持ち運び可能なものに昇華できるのではと考えたこと

  2. シンガポールの大学院はパートタイム生も多く平日夜に授業が設定されている(課程が多い)ため仕事との両立も(相当にタフであろうが)無理ではないと知ったこと

  3. 社会人の再教育を推進するシンガポールにおいてシンガポール人の学ぶ様子や当地に溶け込む過程として大学院を活用する外国人の学ぶ様子を見てみたかった/自身も経験してみたかったこと

  4. そしていつかやりたいと思い続けている国際協力においても修士号は必要な場面も多いこと、そしてそこでも1. の持ち運び可能なスキルは活かせるのではと考えたこと

2) 課程を選んだ理由

前提理解として、自信は理工学部から専攻とは関係ない職種のメーカーの部材調達担当としてキャリアを開始した、いわゆる理系の文系就職であった。

受験そのものとして英語やエッセイなど各種準備があるが、そこの説明は割愛する。二つの課程を受験した。ひとつはNUS のManagement of Technology (MoT)課程、もうひとつは同Industrial and Systems Engineering (ISE)課程だ。出願初年度はMoT課程のみしか認識・意識しておらず、MBAの理系版ということで受験した。中小企業診断士もとっているし、英語でも仕事しているので更にMBAまでは不要と考え、より技術的な視点からアプローチするMoT課程と考えた。そのときはMBAの理系版くらいに安易に考えてしまっていたところもあった、出願して通りはしたのだが結局二人目がまだ小さかった子育てと現地で転職したばかりで仕事にも慣れていなかったこともあり入学は見送った。これはNUSをはじめとしたシンガポールの大学が学生の国籍の多様性を重視するだろうと考えたこと、そしてブログなどでもMBA課程以外の日本人はほとんど見当たらなかったことから、日本人は競争倍率的には有利である、だから翌年も機会はあるだろうと考えたことからの判断だった。結果的にはこの判断でよかったと思う。

翌年度再受験の際に他の課程も含め授業内容なども確認するなかでISE課程の方への興味が強くなった。MoT課程が実際にはMBAの理系版というよりは新規事業開発(いわゆる0→1)に重きを置いたものであるのに対し、ISE課程の方はOperations Research、Data Analyticsなどよりオペレーションに重きを置いた手に職系の学問であり、自分自身新しい事業を生み出すことよりも複数の人との関わりのなかで既存のオペレーションを改善し楽にしその喜び共有することにモチベーションを感じる、と理解していたことからISEの方を第一志望とし、入学した。一方MoT課程は授業が新規事業開発という意味においてかなり実践的で実際に学生チームでシンガポールの企業で働き講師のアドバイスを受けながら新規事業を立ち上げる、同じことを海外でやる、NUSやA*STARの特許技術を使って起業してみる、ベンチャーファンド立ち上げるなどの科目もあり、自ら事業を立ち上げたい人にとっては相当に面白そうな内容であると、シラバスなどを研究していて感じた。

3) 大学院での2年半

2021年8月の授業開始当初、COVID真っ只中であったためすべての授業はオンラインであったが2022年8月より完全にクラスルームでの授業となった。結果1年間のオンライン、1年半のフィジカルな授業参加を経験した。同じ必須科目の登録者が200人いたので同期は180名程度だろう。以下、クラスメートのデモグラフィック的な構成から、履修した科目とその考え方、社会人大学院生の最大の敵である負荷との闘い方、グループワークについて触れる。

クラスメートの構成

人種)中国人留学生が全体の70%程度。25%がシンガポール/マレーシアの中華系、5% がインド・マレー・ミャンマー系・その他。理系だがインド系が少ないのが意外であった。日本人らしき名前は自分ひとりであった。中国人留学生は皆とても真面目でチャラチャラしてない、そして若い。ものすごく多くの数の候補者が中国から受験し、エッセイだけでなく英語力とか学生時代の成績などで絞り込まれるため、自身のような少数派日本人よりもはるかに厳しい競争環境を乗り越えて入学するのだと思う。グループワークでレポートを一緒に書いているとき在シンガポール数か月の中国人留学生がアカデミックライティングを普通に使えており驚いた。片や自分は何年もシンガポールに住んでいながら中学・高校英語の文法をパズルのように組み合わせたやっつけ英語だ。純粋に彼らはそれだけ準備している、ということだろう。またどのクラスにも、授業中果敢に質問、教授と議論する中国人留学生がいて、素晴らしいと思った。自身が2000年代の中国留学時代にみた早朝から消灯まで校舎や宿舎の階段に座って英語を勉強する中国人大学生、彼ら彼女らがいま自分の前で圧倒的な力を見せつけているのだ、と感じた。多くの中国人留学生はフルタイムで4-5科目を履り勉学に励みながら就職先を探す、インターンに参加するなどしている。相当に大変な学生生活だろう。ただシンガポールも就労ビザEPの要件が年々厳しくなっているのは国籍にかかわらず同じで、中国人クラスメートによると、結局シンガポール現地で仕事が見つからない中国人留学生が大部分、また元々中国に帰り発展することを希望する人も多いとのことで、そのまま現地にいる人は結果的には少数派なのだそう。それでも皆勉学と並行して就職活動、インターン活動をする忙しい留学生生活を過ごす。結局残るのは前述した流暢な英語で授業中率先して教授に質問するような一部の学生だったりするのだろう。この大量に来て大量に帰ってゆく、一部優秀な人が残る、シンガポールはなんだかすごくドライな場所だなと思う。また最近中国人クラスメートから聞いた話だが中国も学部卒では就職が難しく何か勉強したいというよりは少しでも箔をつけるために国内外の大学院に行く学生が多いのだそうで、中国は中国で大変なのだなとは思った。以前華僑・華人を海外に送り出した貧困などとはまた違った理由で学生を海外に押し出す力が現在働いているといえる。日本人は事前に想定したとおり自身の他にはおらず、やはりというか、シンガポールの大学院で勉強する日本人の割合と街中で見かける日本人の割合とには大きく乖離があることがわかった(自分が学んだ課程で顕著なだけかもだが)。

年齢)海外は日本よりも大学院に行く年齢が遅いとはいうがそれでも40代の自分はクラスで最年長グループだ。20代後半から30代前半がボリュームゾーンに見える。年代の差を感じさせるエピソードとしては、どの授業に出ても紙とペンで板書取ってるのは自分と1~2名程度だけで、皆ノートPCかiPadで取っている。デジタルネイティブの時代だ…

性別) 所属するISEは日本語で「工業・システムエンジニアリング」という日本なら男子学生ばかりな感じの名前なのだが、男女比は半々くらい。国が変わればで、不思議な感じだ。更にはデータアナリティクス系の授業では、女性が6割であった。自分が日本で大学生だったときは理系は女性が10%くらいだったが今はどうなのだろう、日本も変わっているのだろうか。

フルタイム/パートタイム) 感覚値では同期入学の80%くらいがフルタイムであとの20%が自分と同じパートタイムでという印象。パートタイム学生の勤務先は半導体メーカーや工業製品メーカーの設計開発や品質管理等エンジニア、システムインテグレーターなどが多いように感じた。スタートアップを立ち上げたシンガポール人のクラスメートもいた。

履修した科目

5セメスター2年半かけ履修した科目。10科目履修し無事規定以上の単位を取得できれば修了だ。自身は仕事や課程との負荷を考え1セメスターに2科目とした。科目によってはグループワークやプログラミングがあったり。

IE5001 Operations Planning and Control
IE5002 Applied Engineering Statistics
IE5003 Cost Analysis and Engineering Economy
IE5004 Engineering Probability and Simulation
IE5005 Data Analytics for Industrial Engineering
IE5231 Statistical Methods for Process Design and Control
IE5121 Quality Planning and Management
IE5202 Applied Forecasting Methods
IE5301 Human Factors In Engineering And Design
IE5208 Systems Approach to Project Management
(科目名は変わることがあるが、科目コードは変わらないはず)

ひたすら理論ではなく、例題などが実際の製造業の事例となっており数学×オペレーションという感じでとても新鮮であった。特に確率・統計、多変量解析が基礎となっている科目については、事前理解と予習復習必須は必須、でないと授業の内容についていけないと感じた。事前理解としては、高校・大学の理系数学、具体的には確率・統計の基礎、行列、微分積分、偏微分くらいまでは復習しておいた方がよい。また、授業の予習・復習ができていないと、結果試験前に再度授業の動画を全部見直しながら一から理解する必要がある、ただ実際仕事しながらだと予習復習の時間が取れないことも多く結局試験前になってようやく授業内容を理解するありさま、状況であった。

科目の組み合わせの考え方

科目は必修科目と選択科目があるが、それらを組み合わせて自分の部品としてどのように機能させたいか、が社会人になってから大学院に行く際の観点だと思う。そのうえで、学期始まるたびに試しに授業に出てうーん少し違うなとか、これとこれ組み合わせたほうが今後の武器になるなとか、それを考えること自体が自身にとってよいキャリア設計の機会になってるようにも思った。2年半も学校に通うとなると途中でやりたいことのイメージも変わってくるし適宜調整しながらとなる。

結果的には、確率統計の基本的な考え方をIE5001, IE5002, IE5004で学び、実験計画法や時系列データ予測といったその応用とPythonでの実践をIE5005, IE5202、IE5231で学び、計6科目で理論から応用・実践まで通して学ぶことができた。加えて、その他コスト管理、品質管理やプロジェクト管理、人間工学等製造業やサービス業における各種管理の考え方を体系的に学んだ。前述の6科目については、オペレーションが理解できたらそれが何に役に立つのだ、そこからデータが溜まったら何の役にたつのだというところの理解が弱いと感じていた自分にとっては、それをオペレーションとデータの両側から近づけることができよかった。その部分の解像度が一気に高まった。結果として今まで仕事で経験的に学んできた知見に掛け算的に組み合わさる形でデータ・分析・予測といった知見を付加することができたと思う。2科目×5セメスターで積み上げる形で順番を考えて履修できたので消化不良も起こさず学べた、それがパートタイム学生のメリットであるとも感じた。フルタイム学生で5科目基礎も応用も同時に履るのはそれはそれで大変そうに思えた。

確率・統計に関するOperations ResearchやData Analytics系の科目は出席を取らない分課題や試験重視でよい成績をとるのが難しい、それ以外は出席や課題提出、グループワークへの積極的な参加をきちんとこなしていれば平均的な成績はくる、というのが学生の間での共通認識だった。また、少し土地勘のある分野だと成績は良くなる傾向があるし、逆に新たな分野へのチャレンジとすると成績は低くなる。新たなスキルを獲得したいのか、なにかの用途である程度の成績も取る必要があるかで、科目の履り方も変わってくる。

負荷マネジメント

勉強そのものも手強いが、家庭を持った社会人大学院生にとって、勉強と仕事・家庭との両立もさらに手強い面が多くある。戦略的な負荷マネジメントがとても重要と感じた。

手強い1) パートタイム学生のため、普通に外国語で一週間仕事しながら終業後に3時間授業を聞いても全然頭に入らない。日中の仕事では英語で会話していても脳内で音声認識で文字化していくようなイメージで英語が頭に入ってくるのだが、仕事の後の疲労が伴うとまったくそれが行われずただただ英語の音声が流れてゆく。語彙に慣れていない、そもそも基本理解がない、というのもあるだろう。授業に参加しても録画を何度も見返す必要があった。

手強い2) 予習・復習に加え、週末はグループワークやプログラミングなどの課題などで終わってしまう。特にPythonを使うのが初めだった自身にとっては実行エラーが出るたびにそれを解決するのに1時間かかるといった状況であった。子育て、仕事をしながらいつ終わるかわからない課題に延々と取り組むのはなかなかタフであった。プログラミングの課題は8-10人日程度要したものもあった。早めに取り掛かり計画的に進めていくことが求められる。

手強い3) また、仕事の山と試験前が重なってしまったことがあり、そのときは授業ある日は仕事→(18:00) 授業→(21:30)帰宅して子ども寝かせる→(22:30)残業→(24:00) 宿題→(2:00) 就寝、授業ない日は仕事→子ども迎えに行き面倒みる→(21:30) 寝かせる→(22:30)残業→(24:00) 宿題→就寝(2:00) 、ということになり、体調的にもギリギリであった。これは全然自慢できることではない、うまく負荷をマネジメントできていない局面があった、ということだ。

手強い4) 入学して1年経った2022年8月からのセメスターで完全にオンラインからクラスルームでの授業に切り替わるお達しが出たことが状況をさらにタフにした。ワーク、ライフ、スタディ バランスの危機である。授業のある日は前後一時間ずつかけてシンガポール西部にある大学との往復をしなければならない。仕事も授業開始のタイミングまであり、打ち合わせのないタイミングに大学に移動して、仕事が終わってすぐ授業に参加するなどした。

社会人大学院生にとってのチャレンジは負荷との闘いだ。負荷がピークになると仕事にも影響が出るし、授業内容も全く頭に入らない、体調も崩してしまう。そのため、疲労がたまってきたと感じたら、仕事は半日休暇をとったり、授業は講義が録画されているものは自宅でビデオを見て移動時間を節約する方法をとる、などした。宿題についても明らかに時間のかかるものや難度の高い題は、得点率が7割程度確保できることを念頭におきつつ配点とのバランスにも鑑み、戦略的にスキップするなどした。また前述のような負荷が重なる状況を避けるために試験の際に使うチートシート作成も3セメスター目からは、前目前目にやっておく方針にした。授業のメモ取りや復習時にチートシート作成を進めてしまい、それを試験で用いることで試験前の追い込み負荷の山を極力前にずらすようにした。これで結構時間節約になる。

課程全体を通して、ここは自分の将来にとっても大事、ここはまあまあの理解でOKなど、意図的に割り切ること濃淡をつけることが重要であると感じ、またそれは仕事の考え方とも共通するためある程度社会人を経験したからこそ持てる意識であるとも思った。プログラミングに力を入れたいとApplied Programming for Industrial Systemsという授業の履修を検討していたらフルタイム中国人留学生が「他のクラスの三倍くらい負荷が高くて事務局に文句言った」と言っており、履らなかった。流石にそれでは仕事との両立は不可能、そういう割り切りも必要だし、クラスメートからの情報収集も重要だ。

それでも仕事と学校の山が重なり疲弊することもあったので、かなり積極的に仕事、家庭、学校のそれぞれで山をずらす、また意識的に休む努力が必要と思う。そんな学期を乗り越えると毎回放心状態、抜け殻のようになった。

グループワーク

プロジェクト形式のグループワークのある科目も多い。海外MBAで議論に入れず教室予約とかのロジ周りを積極的にやる話など見た覚えがあるが、やはり議論に積極的に加わる方が何倍も学びが多い。その点、海外で一定期間働いたうえで参加しているので何言ってるかもわかるし自分の意見も言える、海外勤務後の海外大学院はおすすめと思う。

ときにはメンバーが静かな人が多くなかなか議論が進まないことや、議論は盛んだがなかなかまとまらないこともあるが、それに合わせていたら直前になって突貫工事になることは目に見えている。それは家庭持ちにとっては受け入れがたく、避けなくてはならない。授業中であれば、さあグループ議論をしましょうとなると真っ先にマーカーを持ってホワイトボードで議論するようにした。議論が始まる前の何もしないで互いに空気を読み合ってる間がもったいない。オンラインであれば、自分の画面を映しながらスコープ、タスク、スケジュールを示し、ファシリテーションして議論をどんどん前に進めていく。ただ、プロマネ的業務自体は仕事でもやっておりそれが新たに身に着けたいスキルではないため、進めるなかで他に身動きのとりやすいメンバーがいればその人に積極的にリードしてもらい、自身は自身の学びたい領域を担当した。このあたりはメンバリング、自身のやりたいこと、忙しさなどに鑑み位置づけ自分の立ち位置を調整していくことが必要だ。全体を見渡せる人がいない場合、議論が延々と続いて内容とフレームと資料の作り方の話がごちゃごちゃになりながらスライド作りをし連日夜作業とかになってしまうので早い段階でレポートのフレームを決めてしまってあとは埋めていく作業にすることもポイントだ。仕事と家庭との両立はそんな自分から仕掛けていく工夫も必要だったりする。文句ばかり言ってもいられない。

授業やグループワークの際に、パートタイムのクラスメートから「ちなみに自分の会社では…」といった一言一言がとても勉強になる。課題を終えることだけでなくそこからいかに学ぶかにも気を遣えたらよいなと思った。あまり残業しないイメージのシンガポール人だが、授業後9PMにグループワークの打ち合わせを入れたり、夜中も課題の解法についてWhatsAppでメッセージが飛び交ってたり、要はどこにどれだけ力を使うか、今だけでなく将来のことにも時間を使う、ということなのだろうなと思ったりした。

4) シンガポールで社会人として大学院に通ってみて

40歳を超え使い古されたスキルだけであっぷあっぷしながら働いてたところからスタートし、苦しいながらも働きながら勉強を始めて自分のなかにそれ以外の何かができてきて、少しずつそれが外の世界と歯車で繋がってきた感がある。具体的に表現すると、仕事で転職もしながら分野1→分野2→分野3と経験を積んできて、確率統計・Pythonのようななどの分野にも応用可能な考え方を学び、(1 + 大学院で学んだこと)× (分野1 + 分野2 + 分野3)のように面積で広がりながら各要素も嚙み合ってきた感覚だ。大学院で感じたのは、中年になり若い人に混じって今更新しいこと覚えられるのかと思っていたけど意外となんとかなる、むしろ若い人より社会人経験・実務経験がある分一度始めてしまえば確実にそれらの経験が助けてくれる、ということ。大人が理論で楽器やスポーツを新たに覚えるとの同じ感覚かもしれない。今後も〇〇は若い人に任せておけば〜は言わないようにしておこうと思う。

改めて研究開発・品質管理などOperations Researchのような理論・技術を日常的に活用していていることに対して尊敬の念を抱くとともに、自分としては、そういうところで使われてるものをそこだけに留めず、人間系・調整力などに大きく依存するオフィス業務、事務作業などに活用できたら面白い、新しい世界がが見えてくるのではと思っている。日本企業が多大な労力・時間をかけているところでもある。英語で学べたこともそんな場で活きると思う。この期間でお金も時間も体力もかなり使ってしまったけど、大学院前は膝が伸び切った感じだったのが、学んだことを仕事などに活かしたくてうずうずしてる感じになったのでそういう意味ではよかったかなと思っている。そしていつか国際協力の分野でも活かすことができればと思う。

最後に、学問自体だけでなくそのダイナミックな人の流れにもとても興味があったが、実際アジアの教育機関に学生として身を置き見えてきたのは「本国の熾烈な就職活動のなかで海外の大学院や労働市場に中国人留学生を送り出す大きなうねり」、「よりよい待遇や職の安定性を求めスキルアップし続けるシンガポール人達・シンガポールに永住を決めた外国人達」、「大学での日本人学生の数的な存在感のなさ」であった。それらがどのように今後に影響してくるのかはわからないし、じわじわ効いてくるのかもしれないが、中に入ったからこそ感じることができたのも収穫であった。

とにもかくにも10年スパンで考えたときの準備期間も含めた足掛け4年での「勉強」はいったん終わりになります!学んだことは兼ね備えたスキルとして平常運転のなかで活かしつつ、今後は移民、在外華人文化、僑郷文化などにより視点を移していろいろと探求していきたいと思います!ここまでお読み頂きありがとうございました!

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