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⑦持たざる者が、謝罪を攻撃や防御に使う理由。

母はまともですか。
尋ねられたので回答します。

まともではありません。


問題の当事者同士をそれぞれ引き離し、それぞれにウソを流して全員の自滅を狙い、自分は無傷なのに「自分が一番その問題で傷ついた」と主張し、それぞれに謝罪や賠償をして自分だけ得するというゲリラ戦を行うプロだからです。そして、格闘戦も強いです。

ひとつ怪談を話します。

ある日、静岡は浜松で一人暮らしをしている私の元に、川崎から母がやってきました。新幹線に乗って、はるばる夕暮れ時の浜松駅にのっそりと現れた母は、もちろん酒を私に要求してきました。

私は、私が描いたイラストが飾ってあるバーに母を連れて行きました。

ゴクゴクゴクとビールを飲み干し、ビールを飲み干し、ビールを飲み干す母。黙る私。ビールを飲み干す母。黙る私。と、母は、やおらグラスを置き、口を開きました。

「あんた!あたしあ、ぜったい悪くないもん!おとおさんがわるいって自分でゆってた!だから、あたしがあるいってゆあれたら、かなしい!おかねをつかったとか、暴力ふうったとか、悪くないもん!謝ったら負けだから!次の店ゆぃく!」

母は、おかわりのホストクラブを所望しました。店で何かをされたら怖いので、私も同席しました。酒が次々にテーブルに置かれます。しかし、母の目には、同席した若い男たちの新鮮な躰しか見えておりません。男衆は母を煽ります。

「へえ飲めんすね!綺麗な方で、てか飲みベすげくないすか!てか!わー!マジ年近かったら彼女したい!」

久々に食べ頃の男を前にした母の顔には徐々に秘めたる屈折した欲求、すなわち暴力性がじわじわと滲み出てきました。

「あたしあ!おつぁけつよいんばよ?あたちあ、飲めるッ!」

母だった者は、今まさに、男を漁る異形の魔物へと変貌し、怪物としての凄みを青年たちに見せつけています。酒がみるみるうちに減って、空になり、継ぎ足され、私は嫌な予感がしてきました。

「まだどめるから!まだあたち飲めるッ!」

そして何があったかは、割愛します。

早朝、帰り際。私が目を離した隙に、怪物は母のような者へと早変わりしていました。母は、今までのことがなかったかのように、すっきりとした表情でした。

「あんたも飲んだでしょ、帰れる?」

母なのかな。母でいいんだよな。私は気を許してしまいました。

「帰れるよ。逆に、ホテルまで帰れる?ホテルであんま暴れないでね?」

気遣われた、つまりバカにされた。そう思ったのでしょう。私が言うや、母は私を「持ち」、そのまま引き摺り回し、カバンをひったくり、私とカバンをグルングルンと振り回し始めました。

母は筋トレが趣味で、筋力、握力、どれをとっても私より格上です。純粋に強いのです。そして、酒が入っていました。若い私をめちゃめちゃにするほどに力任せに暴れまわる母を止められる者は誰もいません。

「ホテルまで帰れない私が悪いってゆうの?もうゆるちゃないもん!言い方が!ゆいかたが悪いから!謝んないもん!ゆいかたがわるいからもー謝りたくなくなっちゃった!先謝ったら許してやげる!謝れ!ヴォオオオ!もーカバンとっちゃう!ウィーッ!プシ!ウィープシ!フォウ!もーとっちゃうもん!ドゥ!ずじょるば!じゅーぐん!たばんとっちゃっちゃ!じゅぐじゅぐじゅぐーん!でゅくし!

ファミコンのアクションゲームのような音を口から鳴らしながら、母は暴れます。「デュクシ」という効果音が小学生だけでなく、死を待つだけのみすぼらしい老婆も知っていると、年代を問わないと分かったのはこのときでした。

母は、というか私の家系の方々は、他人を謝らせることと、自分は謝らないということがセットになっているのです。

「結い方(ゆいかた)」にこだわる怒れる母。みるみるうちに傷だらけになる買ったばかりの私のカバン。そして、傷だらけの私。街にこだまする「謝らないもん、謝らないもん」の怒号。怯え、戸惑う通行人。誰か。誰か助けてほしい。

私は初めて、母を警察に通報しました。

取り押さえられ、唸り声をあげる母。

「結い方(ゆいかた)がああ!あたちゃあなんにもしてないもんんんんぅぶぐぐぐ!」

母を見つめる私。

朝日が昇る街の寒空。

……こういうことが、たびたびありました。

たびたびありましたから、「まともではない」と評価するしかないのです。

なぜ母は、謝るか謝らせるかを常に気にしているのか。もちろんそれは、謝罪を武器と捉えているからです。普通なら、経験や才能を生かして他人と接しますが、母には他人へ提供できる話題や交渉材料が何もないから、「謝罪する・謝罪させる」しか人との対話の選択肢が残されていないのです。

そういう価値観で生きてはいけないなと、あの日、私は学びました。

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