帰国後、数日経った母は
母が日本に帰国して数日が経った。
週に2、3回は少し離れた母親のところに電車で通っている。
母はサービス付き高齢者向け住宅に入居した。
最初の2、3日は急な環境の変化で若干パニック状態だったのかもしれない。
小さなトイレと風呂付きワンルームの部屋なのに、何度教えてもトイレの場所が覚えられない、部屋の電気もなかなか自分でつけられないなど、かなり痴呆が進んでいる様子の母の状態に、この先どうやって母親と向き合いながら生きていけば良いのかと正直僕自身が焦った。
自分がいる場所も日本なのかアメリカなのかも今ひとつ理解出来ていないようだった。
しかし、状況は2、3日後にかなり変わった。
昔から母は自分の要件をまとめて手短に電話を切ることが出来ない人で、こちらが無理矢理切らない限り半永久的に話す人だったのだが、今回は自分から「また後でね。」と電話を切った。
母に会いに行くと妙に落ち着いた表情で、僕の記憶の中にいた以前の母親の状態に戻っていた。普通に話をし、普通に会話が成り立った。
新しく入居したサービス付き高齢者向け住宅も気に入ってくれたようだ。
アメリカとは部屋のサイズがかなり違うし、そもそもあまり狭い場所に住んだ事が無い母なので、ワンルームの高齢者向け住宅だと気に入らず騒ぎ出すのではないかと心配していたのだが、拍子抜けするぐらいに馴染んでいた。
特に高齢者向け住宅なので、よく考えられて行き届いた部屋のつくりに満足しているようだ。
背中も曲がり、足腰も痛いらしい母親は、トイレやお風呂に入るのも一苦労のようだが、高齢者や車椅子生活の人達にも便利な場所に手すりが付いていて、とても生活し易いのだそうだ。
それと、働いていらっしゃるスタッフの方々が高齢者の扱いにも慣れていて、母親の話も面倒臭がらず聞いてくれている様で、それらの対応にも安心したのか、母親の精神状態がみるみる安定してきているのを感じる事が出来た。
高齢による痴呆などの症状とはまた別に、母には若干発達障害の症状が昔から感じられるのだが、本人には自覚が無い為、今まできちんと検査などしていないが、ほぼ間違いなくアスペルガー(現在はASD自閉スペクトラム)の症状があり、少なくともグレーゾーンには入るだろうと考えられる言動が多い。
実は自分の母親が発達障害を持っているということを最近まで僕ら家族はしっかりと認識していなかった為に、つい母親に「何故わからないんだ?」とか「何故そんな意味ない事にいつまでこだわっているのか?」と声を荒げて接してしまう場面が多かったのだが、発達障害の人にその様な言い方は逆効果だという事が発達障害について僕自身も学びながら理解出来てきた。
先ずは母親の話や母親なりの理屈や価値観をしっかりと聞いてあげた上で優しくサポートするように話してやらないといけない事や、どうやら口頭で済ますよりも、面倒でもいちいち紙に書いてあげると理解し易いようだという事もわかってきた。
施設のスタッフと母親とのやりとりを見ていてもスタッフの方々は一様に母親の話を制止せず最後まで聞いた上で何かしらのアドバイスや意見を丁寧に話されている。
多分そういった周囲の接し方に母親も安心したのだろう。
帰国して数日しか経っていないのに、みるみると落ち着いた表情になり、一般の人と何ら変わらない程度に会話をし、笑ったりするようになってきた。
40年も住んだアメリカ、ニューヨークの地を、医療費が高いという理由で半強制的に日本に帰国させてしまう事はやはり非常に心苦しかったのだか、母親の落ち着いた表情と笑顔に少し救われた。
ニューヨークではずっと一人暮らしで、本人は口にはしないが、多分孤独を感じる事も多かったとは思うのだが、こちらでは施設の人が必ず1日1回は巡回してきてくれて声かけも行われているし、朝昼晩の食事の時はカフェテリアで他の入居者達とも団欒出来るので、きっと帰国してからの方が安心感を感じているのではないだろうか。
後何年、母親が生きるのかはわからないが、残りの人生、少しでも楽しんで欲しいと思う。